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2014年1月22日 (水)

カンヌのトップが変わると

1週間ほど前の「ルモンド」紙で、カンヌ国際映画祭のトップ、つまり総裁presidentが、ジル・ジャコブから元カナル・プリュス社長のピエール・レスキュールに代わったという報道があった。日本から見たらどうでもいいニュースだが、ちょっと考えるところがあった。

この「病気療養」中にいろいろな未読の本や読みかけの本を読んだが、その中に仏語の本でロレダーナ・ラティ著「国際舞台におけるカンヌ映画祭」(2005)というのがあった。なぜ読んだかというと、1946年の創設から現代まで、日本映画がどう選ばれたか興味があったから。

そこでわかったのは、創立から1958年までは、そのセレクションや賞の割り振りが基本的にフランス外務省の支配下にあったということだ。当時フランスはマーシャル・プランでアメリカの経済援助を受けていたから、アメリカに対する配慮は相当なものがあった。

1946年から58年までの賞は、米国21、フランス18、イタリア11、ソ連10、スウェーデン6、英国6で、日本は4。コンペしかない時代で、アメリカ映画がだいたいコンペ全体の1/4で、残りの半分がフランス映画だった。ソ連はその時々の政情で、出品がゼロの時や5本の時も。

2大国と西欧以外では、メキシコ、インド、日本、スウェーデンがだいたい1、2本ずつ参加している。ルイス・ブニュエル、サタジット・レイ、黒澤明、イングマル・ベルイマンが常連で、この4人はカンヌが世界的に有名にしたといってよい。

私は、日本が1951年に『羅生門』でベネチアのグランプリを取って以来急に各地で賞を取り出したのは、日本を共産化させないためにアメリカが圧力をかけたに違いないという仮説を持っている。これを確かめたくて、わざわざ仏語のこの本を読んでいたが、直接的な言及はなかった。

日本に関しては、1955年に溝口健二の『近松物語』がコンペで上映された時の話がおもしろい。評判が悪かったという報を聞いて、大映の永田雅一社長は、「私はフランスは嫌いだ」と日本の日刊紙に語った。それを駐日フランス大使館が本国に報告したところ、仏外務省は怒って同じ大映作品の木村恵吾監督『千姫』を、会期中にコンペから外させたという。これは日本に知られていないのではないか。

本当は、1977年のジル・ジャコブの登場からカンヌがいかに変わったかを書くつもりだったが、それは後日。

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