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2014年1月29日 (水)

『ある過去の行方』が見せる人間の「闇」

『別離』の展開のうまさに舌を巻いた私は、4月19日公開のアスガー・ファルハディ監督『ある過去の行方』を期待して見に行った。これまではイランで撮影していたが、今度はパリが舞台と聞いて不安でもあった。

『別離』はイスラム社会ならではの設定が重要だった。さて今度はと思ったら、これが実にうまくフランス社会らしい人物設定の中で、例によって人間の「闇」を追いかける構造になっていた。

パリの空港に着くアラブ系の男。それを迎えるフランス人女性。ガラス越しに話す2人を周囲の雰囲気と共に鮮やかに映し出す映像から、見る者はファルハディのマジックにかかってしまう。

イラン人のアーマドは、妻マリー=アンヌ(ベレニス・ベジョー)との協議離婚のために、4年ぶりにパリに来た。自宅には自分の前の男性の娘リュシーと、自分の娘、妻の最近の恋人サミールの息子がいた。どうも雰囲気がおかしい。リュシーがアーマドに漏らした一言から「過去」の扉が開かれ、サミールやその従業員も加わって、誰が一体正しいのかわからない無限地獄が始まる。

最初は人物をまわりの気配と共に描く撮影が相変わらずいいなと思っていたが、途中から「過去」の真実を追いかけはじめると、そのサスペンスの展開に気が気でなくなる。これでようやくわかったと思っていると、まだその先がある。映画は最後のカットまで、「闇」を追い続ける。

数年ごとに男を変えて子供を作るマリー=アンヌも、あくまで落ち着いて正義に従って行動するアーマドも、クリーニング店を経営する短気なサミールも、みんな正しい。とんでもないことをしてしまうリュシーだってある意味で正しい。みんなが自分の正義を主張するフランス社会ならではの設定で、真実は無限に遠ざかる。

好みで言えば、今度の映画のようなフランス人のエゴの張り合いを見るより、もっと展開の予想がつきにくい『別離』の方が好きだ。それでも現代人の「闇」をこれでもかと追いかけるシナリオと演出力を堪能した。

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