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2014年2月18日 (火)

『ぼくたちの家族』のシリアスさ

5月24日公開の石井裕也監督の新作『ぼくたちの家族』を見た。ずいぶん先の公開だが、4月になると試写はまず見れないので、入試の合間の今がチャンス。石井監督は『舟を編む』で一挙にメジャーになったので、次回作が気になっていた。

『舟を編む』でかなりまじめな話に取り組んでいたが、まだユーモアがふんだんにあった。今度の映画はそのユーモアをほとんど封じて、シリアスな家族ドラマを正面から描いている。

物語は、兄は結婚して働き、弟は大学生という家族の母親に、突然ボケが出るところから始まる。父親と兄が慌てて病院に連れてゆくと、脳腫瘍と判断される。そこから父親と兄弟の奔走が始まる。看病もさることながら、お金の問題も出てくる。

こう書くとベタな悲劇に見えてくる。実際、前半は見ていていたたまれない。ところが後半その奔走から光が見えてくると、見ていて何度か泣き出しそうになった。

それは母を演じる原田美枝子を始めとして、妻夫木聡と池松壮亮の兄弟、長塚京三の父親たちの姿が、近くに寄り添うようなカメラで、自然に等身大で描かれているからだろう。とりわけ原田は、冒頭のアップからこれまでに見たことのないような陰影の深い表情を見せる。そしてボケたり、天真爛漫になったりと自由自在。

下ばかり向いて言葉少なく、泣き笑いのような表情を続ける妻夫木もいい。これほど目を伏せてばかりの妻夫木は、見たことがない。対照的に弟役の池松は饒舌で、しかし実行力のあるところを見せて頼もしい。父親役の長塚は少し間の抜けた中年男を演じているが、最初のユーモラスな演技から、彼だけが少し芝居がかって浮いているように見えた。

兄弟が長い長い階段を登ってみると、そこには彼らの家と同じような建売住宅が無限に広がって見える。それはいかにもこの映画を象徴しているようだが、ある意味ではそのまとまりの良さ、世界の小ささがこの映画の弱さのような気もしてきた。今後のより大きな物語のための、過度期的な作品となるのではないだろうか。

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