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2014年2月13日 (木)

入試の合間の読書:「不眠の森を駆け抜けて」

前に書いたように、2月は大学の教師にとって、入試の月だ。朝8時半や9時に集合し、軍隊のように集団行動をする、年に一度のイベントかもしれない。そんなストレスの憂さ晴らしに合間に読んだのが、白坂依志夫著『不眠の森を駆け抜けて』。

白坂氏は『巨人と玩具』(58)など増村保造監督作品の脚本家として知られるが、今年82歳でお元気のようだ。この本は彼が1950年代から最近までに書いた雑文を集めたものだが、その身も蓋もない開けっぴろげな表現に大笑いする。たぶん戦後の元祖「新人類」ではないだろうか。

私は、彼が『夫婦善哉』などで有名な脚本家の八住利雄の息子ということさえ知らなかった。この本を読むと、いかにもその立場を利用していつの間にか脚本家になったようにも見える。そんなに簡単なはずはないが、彼はあえてそう書く。ただ「映画界における私の最初の友人が、藤井氏のような若い俊秀なプロデューサーの卵だったということは、不幸中の幸いでありました」。藤井浩明(こちらもお元気)とは、その後コンビで増村の映画を作る。

白坂が三島由紀夫と会った時のエピソードもおもしろい。高校生の時に、男色家が集まり銀座の「B」という喫茶店に連れて行ってもらい、「私は、金持ちの老人や、若者をあさりにくる外人を待った。連中にさそわれるとついていき、豪勢な食事や、ナイトクラブの酒をおごってもらい、いざカマクラの寸前に、逃げ出した。これはかなり強烈なスリルをともなったプレイだった」。高校生でこれはすごい。

三島と会うのはそこで、気に入られて文学や歌舞伎に目を開かせられる。白坂のデビューは、三島の『永すぎた春』の映画化の脚本。その後も二カ月に一度は会っていたらしく、白坂の結婚式の写真に友人代表として挨拶をする三島が写っている。

しかしその後、三島との関係はうまくいかない。藤井浩明が三島と特別に懇意であったにもかかわらず、三島の原作の脚本を書くたびにボツになる。それは白坂にとって謎だった。

三島が自決した時、こう書く。「自決と、個人的には、氏が何故私を忌避したか、二つの永遠にとけない謎を私にのこして、偉大な芸術家は、去った」。

もちろん、白坂が増村とどう仕事をしたかについてが抜群におもしろいが、長くなるので後日。1つだけ妙に記憶に残ったのは、篠田正浩が白坂との対談で、1950年代の松竹で、日活の中平康『狂った果実』(56)や大映の『巨人と玩具』を見て、「ああ、松竹はどうしたものだろう」と思ったということ。「小津安二郎、木下恵介のようなルーティーンにならないぞ、と。じゃあ、どっちに向くんだ」。この焦燥感が、松竹から篠田や大島渚、吉田喜重などが羽ばたくきっかけになったのは間違いない。

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