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2014年3月24日 (月)

『ASAHIZA』の晴朗さ

この夏に上映予定の『ASAHIZA 人間はどこへ行く』を見て、「晴朗」という言葉が浮かんだ。英語だとserenityだろうか。福島県南相馬市の映画館「朝日座」をめぐるドキュメンタりーだが、何と静かで爽やかな映像だろう。

南相馬市は福島第一原発から30キロ圏内だが、これは原発をめぐる映像ではない。築90年の木造建築の映画館を巡って、そこに住む人々が語り始める。

ほかに行く場所がなくて、いつも満員だった。
見合いの後に行ったんです。
『エクソシスト』を見て、怖くて家まで帰れず、近くの友人の家に泊まった。
いつもおにぎりを持って出かけた。
フィルムが間に合わないのでヘリコプターで運び、着地する場所が狭いのでロープで降ろした。
近くの食堂の主「みんなここで集合して見に行ったり、映画後の食事をした」
『木靴の木』が難しく、2、3人しか客がいなかった。何度も見ている人もいた。
アニメをやる時に小学校の前でチラシを配った。
ポルノ映画をやる時は、ポスターが恥ずかしかった。
アンゲロプロスに感激してギリシャに行った。
『ニュー・シネマ・パラダイス』は、私の人生そのものだ。

そんなことを語る人々をカメラは全く一切動かず、固定ショットで捉え続ける。時おり話が聞こえる廊下を撮ったり、話を聞く相手の老人の顔をアップで写したり。そのシンプルな映像は、語る人々の人生に満足しているような何とも楽しそうな表情にぴったり。見終わって何ともいい気持になった。

後半、それまでに撮った映像の上映会があり、東京からバスを仕立てて参加する人々もいる。映画はそれをも淡々と見せる。それがわざとらしくなく、自然な感じに収まっている。あるいは仙台の若者たちの映像が入る。外部の視点が加わることで映像はむしろ重層化し、普遍性へ向かう。アコーステックな音楽もぴったり。

原発の話はほとんど出てこない。別にどうということにない内容に何の変哲もない映像だが、ここにはリュミエール兄弟が撮った赤ん坊の食事の映像にも似た、映画の原初的な喜びがある。普通でありながら、それが前衛的にも見えるような不思議な映像体験をした。

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