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2014年3月22日 (土)

熊切和嘉映画の文学性について

試写会が混む映画は当たる。6月14日公開の熊切和嘉監督『私の男』は、まだ試写が始まったばかりなのに入れない人がかなりいたくらい混んでいた。私は試写状を見て早く見たいと思ったが、それはみな同じようだ。

桜庭一樹のスキャンダラスな直木賞作品を熊切監督が映画化するというので、期待度は高まったのだろう。映画はその期待に十分に応えたと思う。

小説は現在から過去に遡り、実はこの2人は近親相姦だったと明かしてゆくが、映画は冒頭を除くとほぼ時間軸に沿って進む。北海道の大地震で親戚を亡くして、親戚の淳悟(浅野忠信)の養子となる花。花は高校生になり(ここから二階堂ふみ)、淳悟と関係を結ぶ。

淳悟には恋人の小町(河井青葉)もいたが、東京に去ってゆく。淳悟と花は2人で生きてゆくために殺人をも犯しながら生きてゆく。花が結婚相手を見つけるまで。

高校生から大人になる花を演じる二階堂ふみの変貌ぶりがすごい。とりわけ高校生の時の子供っぽさと一途さが驚異的だし、東京のOLになった時の美しさにははっとしてしまう。小町役の河井青葉も裸のシーンで何とも哀しい存在感を残す。

過剰な演出がいくつかある。淳悟と花のセックスシーンでは、天井から血が噴き出し、スローモーションでたっぷり見せる。あるいは淳悟が警官(モロ師岡)を殺すシーンは、画面を揺らし、斜めから撮る。あるいは花と親戚のおじさん(藤竜也)との流氷でのシーンも、見ている方が足がすくみそうだ。

そうした過剰さが、どこか文学臭ともいえるようなトーンを作り出しているのも事実だろう。最近の熊切の映画は、『海炭市叙景』も『夏の終り』も、そういう文学性が強い。省略と誇張によって迫力ある画面が生まれている反面、見ていてどうしても醒めてしまう。これは好き嫌いだろうが。

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