『アクト・オブ・キリング』の倫理
4月12日公開のドキュメンタリー『アクト・オブ・キリング』を見た。去年秋の山形ドキュメンタリー映画祭で迷った末に別の映画を見たら、この映画がグランプリを取ったので気になっていた。そのほかにも、ベルリンを始めとしていくつもの映画祭で受賞していたことを後から知った。
見た感想は、これまた、とびきり面白い人を見つけてきたらドキュメンタリー映画はおもしろいという、いつもの定義を改めて確認したというところ。
今回の「面白い人」は、1960年代のインドネシアで共産主義者の大虐殺に加担した人々だ。彼らが人殺しのシーンを得意そうに語るばかりでなく、スタジオやロケでその場面を再現し、それを撮影する。そしてその映像を見ながら、また得意そうに語りだす。
映画は、それらの元殺人者たちが、パンチャシラ青年団という半分ヤクザのような若者集団に尊敬されているさまを見せる。あるいはそこでかつての副大統領が演説をしたり、彼らを励ましに今の副大臣がやってくる。その若者たちが再現映像の撮影に協力する。
一方で元殺人者たちは、孫を可愛がり、妻や子供とデパートを散策する、どこにでもいる普通の老人だ。しかし虐殺のシーンの撮影で子供たちが本当に泣き出すシーンは強烈だし、自分が被害者役をした映像をSANYOのテレビ画面で孫に見せて喜ぶシーンには慄然とする。
滝の下のシーンで、死んだ被害者から「私を処刑して天国に送ってくれたことを感謝する」とメダルをもらう元殺人者。彼はその映像をテレビで見ながら、感激しているのだから。
作中によく「ジョシュア」という声が聞こえる。アメリカ出身の監督、ジョシュア・オッペンハイマーのことだが、インドネシア語を話し、元殺人者たちと仲良くなりながら映画を撮っている様子が浮かび上がる。
映画自体は抜群におもしろいが、欧米人があえて元殺人者を喜ばせる形でインドネシアの恥の部分を撮っている姿勢には、倫理的に疑問がないわけではない。虐殺の話を聞くだけでなく、それを演じさせるのだから。それも含めて、この春の話題の映画だろう。
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