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2014年3月 2日 (日)

『男の償い』にメロドラマを考える

フィルムセンターでまた2本見た。佐々木康監督の『風の女王』(38)と野村浩将監督の『男の償い』(前・後編、37)。どちらも今では忘れられた作品だが、戦前松竹大船の黄金時代と呼ぶにふさわしい脚本や演出の完成度の高さと豪華な俳優陣を楽しんだ。

とりわけ前・後編の『男の償い』のメロドラマぶりはおもしろかった。前半は幼馴染の滋(佐分利信)と瑠璃子(桑野通子)が親の反対で結婚できず、それぞれが不本意な結婚をするまでを描く。滋は伊豆の温泉旅館の娘寿美(田中絹代)に見初められて結婚し、それを知った瑠璃子は親の言うままに金持ちと結婚。

ここまではよくあるメロドラマだが、後編で寿美に不幸がテンコ盛りで訪れる。まず前編の終わりで、夫の滋がその兄がもたらした金銭問題で去ってゆく。その後寿美には子供ができたことがわかり、両親は旅館の番頭喜之助(夏川大二郎)との結婚を勧める。

思い詰めた寿美が滋に会いに行こうとする時に父親が亡くなり、その遺言で寿美は番頭と結婚する。すると新築したばかりの新館が火事になり、寿美の母親(吉川満子)は焼け死に、助けようとした喜之助は盲目になる。

それを期に寿美は喜之助を愛し、子供も作る。ところがある時、喜之助と最初の子供は川に落ちて死ぬ。気が狂った寿美は精神病院に入り、滋は「男の償い」として寿美を看病し、もう1人の子供を育てる決心をする。

吉屋信子が「主婦之友」に連載した小説の映画化だが、当時の観客はこの悲劇のテンコ盛りに泣いたのだろうか。少なくともフィルムセンターの一部の客からは失笑が起こっていた。パリのシネマテークでダグラス・サークのメロドラマを見た時もそうだったけれど。

サーク以前も、『散りゆく花』(19)や『ステラダラス』(37)などを考えても、不幸の連続で泣かせるメロドラマはハリウッド映画に多い。日本の場合は、それが新派特有の悲劇と結びついているのだろうが、そのあたりはもっと考察が必要だ。

脚本は野田高梧。小津を始めとする松竹の巨匠たちを支えた脚本家だ。『晩春』などの戦後の小津作品もすべて野田。彼はこの映画の翌年、再び野村監督と組んで『愛染かつら』をヒットさせる。こちらは、前編、後編、続編、完結編と続くが、私はこれらをまとめた総集編しか見ていない。いつか全部見たい。

『男の償い』の映画的魅力や『風の女王』については後日書く。

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