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2014年3月27日 (木)

春休みの読書:『ミシンと日本の近代』

3月にフィルムセンターで見た大庭秀雄監督の傑作『むすめ』(1943)で主人公を演じる高峰三枝子は、無職の父を養うために洋裁店を営んでいる。そして毎日ミシンを踏む。そこには「JANOME」というロゴが大きく浮かび上がる。蛇の目ミシン、つまり国産品だ。

そこを見た人はあまりいないと思うが、その少し前にアンドルー・ゴードン著『ミシンと日本の近代』を読んでいた私は、それがシンガーミシンでないか気になった。さすがに1943年という戦時中なので、アメリカのシンガーではなかった。

この本は、ミシンが20世紀の日本でどのように広がったかを詳細に記述したもの。女性に家で裁縫をさせると同時に洋裁店という独立の道も作り、洋装も広めたミシンの歴史を通じて、日本の近代の変容が浮かぶ上がってくる労作だ。図版も豊富でアメリカの日本研究者のレベルの高さを実感した。

私の世代の日本人なら、どこの家にもミシンがあったことを覚えているだろう。ジャノメ、ブラザー、リッカーなどが昭和30年代、40年代の家庭にはあった。私は小学生の家庭科でミシンの使い方を習った記憶さえある。

この本を読むと、ミシンが実はまず明治期に西洋文明の象徴の1つとして輸入されたことがわかる。最初は浅草六区歓楽街で客寄せの余興として実演されたというから、映画の輸入とほぼ同じ扱いだ。1893年の木版画で、明治天皇の妃、昭憲皇后の侍女たちが湖畔で裁縫パーティをしている図がある。

最初はいろいろな会社のミシンが輸入されたが、1900年にアメリカのシンガーミシンが東京で直営店を出してからは、シンガーの独占状態になる。1906年にはシンガー裁縫女学院が設立される。ここで養成される女教師と外交員がタッグを組んで販売合戦が始まる。割賦販売というアメリカのシステムを導入したのは、シンガーだった。

1903年から1935年までにシンガーは、日本で百万台のミシンを売ったという。これは女性の服装を洋装中心に変え、同時に働く女性の役割を社会に認識させたようだ。1920年代には女生徒のセーラー服が時流を制する。1930年代には日本のシンガー社内で労働争議が相次いだこともあって、日本のメーカーが台頭してくる。1938年にはシンガーが事実上の撤退をするが、パイン=蛇の目、三菱、ブラザーの国産3社は躍進を続ける。

これから戦時中のモンペ作りに役立ったり、戦後に洋裁がブームになり、国産ミシンが輸出品の中心となるところまでが描かれるが、今日はこのあたりでおしまい。研究書だが、普通に読んでもおもしろい。

最後に1つ。「ミシン」はSewing Machineで最初は「シューイングマシネ」と呼ばれていたが、これが1870年には「ミシン」となる。日本では、マシーン=機械の象徴がミシンだった。ちなみにイタリア語でマシーンを表わすマッキナMacchinaは、まず自動車を表わす。この違いはどこから来るのか。

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