« 『サッドティー』のとりとめない魅力 | トップページ | 不倫はフランスの国技か »

2014年4月 7日 (月)

下岡蓮杖の初個展に考える

下岡蓮杖という名前は日本写真史のパイオニアとして聞くし、明治維新前後の名刺大の写真は何度か見たことがある。しかし彼がどういう人だったかについて全く知らなかった。東京都写真美術館で5月6日まで開催中の「下岡蓮杖」展は、彼の世界初の個展という。

展覧会の前半には、彼の言葉が壁に大きく書いてあって、興味深い。伊豆下田の生まれで、絵を学ぶために東京に出たことや、写真を初めて見て絵なんて意味がないと絵筆を折ったことなどが書かれている。その時、22歳。そしてアメリカ人写真家ジョン・ウィルソンに弟子入りし、帰国する彼からカメラや薬品を譲り受けたのが39歳。それは1862年だから、明治維新の6年前。

展覧会は、写真を撮るまでに描いた絵の展示から始まり、写真技術を習得してからは、名刺大の写真が並ぶ。人々の生活や鎌倉などの風景、そして肖像を撮った写真は、「横浜写真」と呼ばれた外国人向け写真の原型だろう。1枚、裸の男女が寝ながら囲碁を打つ写真がある。何と退廃的なことか。後ろに黒幕があるからセットして撮ったのだろうが、女の胸がはだけている。

それから10数年たつと、下岡は写真を辞めている。写真館の背景の絵を描いたり、パノラマ絵を描いたり。晩年は水墨画を描いて、1914年に92歳に亡くなっている。終わりのあたりに1911年に撮られた「第2回写真師大会記念撮影」の写真がある。下岡は前列中央に、既に時代遅れな感じで杖をついて巨匠のような姿で収まっている。

なぜ写真を辞めたのだろか。そしてなぜパノラマ絵を描いていたのか。そうした見世物が好きだったのか。写真師大会の写真が撮られた頃には、映画が娯楽として流行りだしていたはずだが、映画をどう思ったのだろうか。先日サントリー美術館で見た「のぞいてびっくり江戸絵画」展もそうだが、外国の新技術を取り入れようと奔走した日本人の話には、なぜか惹かれてしまう。

ちなみに蓮杖という名前は、自分の絵の師匠にちなんだ蓮のような大きな杖を持っていたかららしい。写真師大会の写真でも、大事そうに抱えている。最後の章は「そして、伝説へ」と題して、大正や昭和になって彼が伝説化されるさまを示す。

わずか100年前のことなのに、事実はどんどん埋もれてゆくものだと思った。だからこうした展覧会は重要だと思う。その後に「黒部と槍」と題した、冠松五郎と穂刈三寿雄の山岳写真展を見た。こちらは山岳写真のパイオニアらしいが、もともと山登りに全く関心がないので、駆け足で見た。

時々古い写真の展覧会をみると、日本人として生まれた自分の人生の原型を見るようで、何とも楽しく切ない。

|

« 『サッドティー』のとりとめない魅力 | トップページ | 不倫はフランスの国技か »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/59423065

この記事へのトラックバック一覧です: 下岡蓮杖の初個展に考える:

« 『サッドティー』のとりとめない魅力 | トップページ | 不倫はフランスの国技か »