福岡ノスタルジア
この週末は法事で福岡の実家に帰っていた。朝早く起きて、10時からお坊さんが来るまで付近をじっくり散歩した。昔あった店がなくなっているとは前から気づいていたが、今回は意識的にそれを確かめてみた。
まず、家から100メートルほど行ったところの角にある「かどや」は、小さい頃最も通った駄菓子屋だった。少し太って大きな指輪をしたおばさんが店番をしていた。その夫は三井系の会社員で実はあのおばさんは働く必要はないのに、と付近で言われていた。今は大きな家になっていて、その息子が住んでいるらしい。
まっすぐ50メートルほど進むと金物屋があった。ここは母子でやっていて、熱帯魚や文具も売っていた。その先が「二川屋」という旅館で、その先の交差点にもうひとつ駄菓子屋。その向こうが「松藤魚屋」で、その先が「こがみせ」と呼ばれた「古賀酒食料品店」。それらすべては、一軒家かアパートか駐車場に変わっている。
さらにその先の「牛島洋品店」と「熊川食料品店」のみが、名前を変えてかろうじて生き延びていた。どうしてこんなになくなったかと言えば理由は簡単で、近くの国道沿いに巨大スーパーやコンビニができたから。町中からそのスーパーに車で乗り付けて、すべてをそこで買ってゆく。
そんなことより私にとっての最大の変化は、私の父が経営していた工場が、今や老人専門の病院になっていること。何百人という人々が石炭を入れる紙袋を作っていた光景は、今もありありと思い出す。ちなみにその病院を経営している横倉氏は、何と今の日本医師会の会長だという。
町レベルで言えばもっと大きな変化は、三井炭鉱関連の鉄工所が無数の建売住宅になったことだろう。その向かいにあった長屋のような社員住宅や付属の専門学校は日本財団の援助でできた「B&G」と呼ばれる体育館やプール、テニスコート、野球場になっている。
その先の中学校まで行こうとしたが、道を間違えた。思わずアイフォンを取り出して位置確認している自分が情けない。福岡ノスタルジアはこれでおしまい。たぶん、こんな変化は日本の田舎のあちこちで起きたことなのだろうけれど。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- ナナコを作ったが(2018.04.19)
- 春は人事の話ばかり(2018.04.12)
- 「コンビニ人間」か(2018.03.29)
- 今も日本は「普請中」か(2018.03.23)
- 中年たちの墓参り(2018.03.06)
コメント