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2014年4月16日 (水)

『映画術』に考える

最近読んだ本で、大きく頷いたのが塩田明彦著『映画術』。トリュフォーがヒッチコックにインタビューした本と同じ題名で大丈夫かと思ったが、これはこれでおもしろい。塩田氏は『黄泉がえり』や『どろろ』などの監督。

最近あまり映画を撮らないなと思っていたら映画美学校で教えていたらしく、この本は「アクターズ・コース」の授業をそのまままとめたもの。

最初の「動線」の話で大きく頷く。「自主映画の現場に極めて希薄……というか、ほとんど存在していない概念が、この「動線」というものだと思います。映画批評の言葉としてもほとんど使われていないはずです。/ところが商業映画の現場においては、当たり前に誰もが普通に使っている言葉で、これがなければ始まらない。この「動線」という概念をしるだけで、自主映画のクォリティも3倍アップする、と僕は考えています」

それから溝口の『西鶴一代女』や成瀬巳喜男の『乱れる』の男女のシーンを分析する。ショットごとの写真が並んでいるので、見ていなくてもわかりやすい。男女が一線を越える瞬間にどのような動きをするかで映画のドラマが忽然と生まれるさまを、噛んで含むように説明している。

『乱れる』について、「二人が、一つ屋根の下でどういうふうに距離を詰めていくのか、どういうふうに橋を渡るのか/渡らないのか――語られている物語に対して複数の次元を作り出してゆく、それが映画における演出というものです。そうやっていくつもの水準で語ってゆくことによって、映画はある「豊かさ」を獲得してゆきます」

その通りなのだが、成瀬や溝口のようにそんな演出を無意識のうちにできるのは、サイレント映画を撮ったことのある監督だからではないだろうか。最近ジョン・フォードの『駅馬車』(1939)を再見して、そう思った。ダラスが金持ちの女性の出産を手伝い、赤ちゃんを抱えて出てきた姿にリンゴは惚れこみ、外に誘う。小さなランプに照らされた細い廊下を歩く2人。そして外に出てから行きつ戻りつする2人。ほとんど男女の道行きだ。

今の監督がそれをやると、どこかにあざとさというか、作り過ぎ感が出てしまう。塩田氏自身の映画がそうだし、黒沢清監督など、映画をたくさん見ている監督の演出がみなそうだ。今週末公開のアスガー・ファルハディー監督の傑作『ある過去の行方』でさえも。もちろん、それはそれでいいのだが。

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