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2014年5月12日 (月)

『とらわれて夏』の落ち着かなさ

ジェイソン・ライトマン監督の『とらわれて夏』を劇場で見た。この監督の『マイレージ、マイライフ』に妙にはまったからだ。新聞各紙での大きな扱いも気になった。

結果は、少し期待外れというところ。シングルマザーのアデルが脱獄囚フランクを家で匿ううちに愛情が生まれる過程を、少年の目から繊細に描いたものだが、ちょっと詰め込み過ぎで見ていて落ち着かなかった。

時おり少年のナレーションが出てくるので、全体としては少年が回想する物語だ。同時にジョジュ・ブローリン演じるフランクがなぜ投獄されるに至ったかをフラッシュバックで見せる。それがあまりにも細切れで回数が多いのに、最初は誰の回想かもわかりにくいので、物語が中断される。

夫に逃げられたアデル役をケイト・ウィンスレットが演じるが、離婚によって精神的なダメージを受けてふさぎ込んでいる様子が痛々しすぎる。そのうえ、フランクとの間に愛が生まれると、一挙に肉感的な服装になるのだから。

フランクが警察に見つからないか、彼らは逃げられるのかというサスペンスも全体を貫く。終盤は一挙に年月が経って、成長した少年のノスタルジックな視点になる。それはかなり気持ちのいい展開なので、見終わると充足感が生まれるけれど。

3人のそれぞれの物語に加えて、逮捕というサスペンス、それから予想外の恋愛とテンコ盛りだが、最後は1980年代後半の夏が、舞台は米国東部でも懐かしく思えてくる。あの時代の雰囲気はどこも変わらない。

映画のできとは関係ないが、米国で信頼される男性像が如実に出ていておもしろかった。子供とキャッチボールをし、傷んだ戸を直したり、車のタイヤを取り替えたりするうえ、実は料理も大雑把だがうまい。つまりは家と女を守り、子供に野球を教えるのが男という感じ。

もう1つ。フランクはアデルと逃げようと決心した時、いつの間にか髭を剃って現れる。まるで別人のように。これは西部劇で、戦いの前に保安官や元罪人が多くの場合髭を剃るシーンと同じだ。この映画でも髭をするシーンそのものを見せたらもっと良かったのに。

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