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2014年5月 1日 (木)

バルテュス展をめぐって:その(2)

今は某私大でフランス語を教えている女友達が、学生の頃私にこう言った。「バルテュスの日本人の奥さんは、結婚したら一生着物を着てくれと頼まれてそれを実行しているが、それはヘンだと思う」。その時は何とも思わなかったが、今なぜかその言葉を思い出す。

確かにテレビに出ている節子夫人はいつも和服だし、私が2001年にベネチアのホテル・モナコのテラスで昼食を共にした時もそうだった。ベネチアはちょうど洪水の後で、大運河に張りだした床にも時々波が上がっていた。ある時大波が「ザブーン」とやってくると、節子夫人は大きな叫び声を挙げた。すると近くにいた体格のいい白人紳士は、椅子ごと夫人を持ち上げて、水のこない場所に移動した。

その時私は、西洋のセレブ社会とはこうしたものだと一瞬で理解した気がした。紳士はか弱い女性を守る義務があり、日本人がその中で生きてゆくには日本的要素を押し出すしかないのだと。そんなところでオロオロしている日本人男性は無用だと。

そんなことを考えたのは、現在開催中のバルテュス展を見て、そこにセレブのディレッタントな余技のようなものを感じたからだ。1908年にパリに生まれ、2001年にスイスで亡くなった彼はいわば20世紀を生きた画家のはずだが、そこには20世紀美術の影がほとんどない。

印象派もマティスもピカソもシュルレアリスムもなかったかのように、ルネサンス絵画めいた色調や構図で少女の裸体やみだらな姿を描き続けている。そしてそれが西洋のセレブに、そして西洋に憧れる日本人にウケた。

展覧会のチラシの裏面には、吉永小百合、坂本龍一、篠山紀信、江國香織といったあらゆる分野のセレブ芸術家たちが、「バルチュスを愛する人々」として顔写真入り(!)で載っている。その上にはアトリエで晩年のバルテュスのに寄り添う和服の節子夫人の大きな写真がある。

もちろん展覧会としては40点を越す油絵を世界中から揃えたのだから、なかなかの力業だと思う。メトロポリタン所蔵の《山》とかニューヨーク近代美術館の《街路》とか個人蔵の《コメルス・サンタンドレ》とか、決定的な代表作がいくつか欠けているけれど。

そんなことより、この画家は本当に偉大なのか、美術史に残るのかという疑問が今回の展覧会で私の中で湧いてきて収まらない。かつて彼の展覧会を自分がやろうとしてできなかった僻みもあるのかもしれないけれど。

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