フランス語ノスタルジア
これまで書いた「ノスタルジア」シリーズは土地をテーマにしたものだが、今日は別のアプローチをしてみたい。そう思ったのは、先日、大学でフランス語を教えている30年来の友人Yさんと会って、自分がいかにフランス語と係わりが深いかを痛感したから。
Yさんと初めて会ったのは、大学3年生の時。九州の大学にいたにもかかわらず、東京・八王子の仏語合宿に参加した。それほどまでにフランス語への情熱があったのだろう。
大学は文学部に入ったが、その大学では学科に分かれるのは2年生の後期だった。だから入学当時はさてどの学科に行こうかと考えていた。1980年頃の話だ。一番関心があったのは中国語。というより、漢文や東洋思想に惹かれていた。
ところが中国語の授業に出てみると、さっそく「マー」という言葉がアクセントによって意味が異なることを説明されて、面食らった。私にはどれも同じ発音に思えて、やめた。
ドイツ語も興味があった。ドイツ哲学とか、マルクスとかフロイトとか、すべての思想はドイツから来ている気がしたから。授業に出てみると、度の強そうな黒ブチ眼鏡をかけた先生があまりに真面目で、嫌になった。
ところがフランス語の授業に出ると、初級担当の山崎先生はいつも笑顔で、一挙に幸せな感じに包まれた。「おお、フランスはいい」と思って、第2外国語をフランス語に決めた。
これがやればやるほどおもしろい。ラジオ講座やテレビ講座も始めた。夏休みからは日仏学院に週2回通って、フランス人にも習い始めた。そこはフランス好きの社会人ばかりで、授業が終わるとよく飲みに行った。
とにかく、暇さえあるとフランス語を勉強していた。八王子の合宿で、秋にフランス語弁論大会やサンケイスカラーシップという給費留学制度の試験があることを知り、両方とも受けた。今から考えると当時のフランス語力は相当怪しかったはずだが、勢いというのは恐ろしいもので、弁論大会は1位になり、給費試験も合格してしまった。
2回分の往復航空券と1年間のフランス滞在費を手にした私は、4年生の春休みにパリに下見に出かけ、7月末から1年間パリに滞在した。とりあえず、今日はここまで。
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