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2014年5月31日 (土)

なぜ今『海を感じる時』の映画か

1978年に中沢けいの『海を感じる時』が群像新人賞を取った時のことは、よく覚えている。私とほぼ同世代の女子高生が書いた小説が文学賞を取ったからだ。読んでみてそのあっけなさに、「女は得だな」と友人に言った記憶がある。

だから9月13日公開の映画『海を感じる時』の試写状を手にした時、高校生の時の感覚が蘇ってきて、ぜひ見たいと思った。安藤尋という監督の映画は見たことはないが、いい評判を読んだことがあった。

映画が始まると、池松壮亮について歩く女(市川由衣)が「くまが見たいの」と繰り返す。そして動物園のショットの後に、男女の裸を前からと後ろから写す。お、これは相当に古臭いぞ、と思った。最近『そこのみにて光輝く』とかもうすぐ公開の『私の男』とか、ATG的な古いテイストや文学性を正面に出す映画が増えているが、この映画は極め付けだ。

まず女子高生が、性を媒介として独り立ちをするという設定が古い。今ではありえないだろう。それを母が「不潔な」「不埒な」「乳繰り合って」という古臭い言葉で本当に正面から罵る。

高校の2つ上の先輩の男(池松)は、好きなわけじゃないがキスがしてみたい、と女に近づく。時間がたつと共に好きになってゆくが、女への態度はあくまで邪険で暴力をふるう。そんな無骨な男の姿も今ではもう見ない。

そして映画はこの2人の会話とセックス、あるいは女の母、男の姉といった周囲の人々との会話を固定ショットでじっくり見せる。この手法はATGやロマンポルノ以上に古めかしい。ある意味で確信犯のような演出だ。とりわけステレオタイプな母親の描き方には驚いた。

原作がそうであるように、この映画には行きつく結論はない。それでも見終わると、若い男女のセックスへの執着が心に残った。その割にはセックスの描写は『そこのみにて光り輝く』に比べると、いささか弱い気がした。セックスそのものよりも、その雰囲気にこだわったような。市川由衣は、その裸よりも下着姿の方が記憶に残っている。

見終わって宣伝担当の方と話すと、脚本は荒井晴彦氏が30年前に書いたものでほとんど手直しをしてないという。確かに『赤い髪の女』のような世界観だ。朝日の石飛さんの感想を聞きたい。

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