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2014年5月 8日 (木)

ソレンティーノの官能に酔う

8月公開のパオロ・ソレンティーノ監督『グレート・ビューティー 追憶のローマ』を見た。先日のイタリア映画祭でプレミア上映されていたが、見逃していた。アカデミー賞で『ライフ・イズ・ビューティフル』(97)以来の外国語映画賞を受賞したというから、わかりやすくなったかと心配したが、そうではなかった。

映画はある中年の小説家の夜の彷徨を追う。夜な夜なパーティやレセプションに出かけては、どうでもいい会話を繰り返す。事件らしい事件といえば、かつての恋人が亡くなったという知らせをその夫から聞くことか、長年付き合った友人が田舎に帰ると告げに来たことくらい。

とりとめのない映像が140分も続くが、退屈するわけではない。なぜならこの監督特有の非凡で官能的な映像と音の世界が次々と現れるから。冒頭に公園で正面を向いた大砲が鳴り響くシーンに驚き、ラストに川の中に浮かぶ船からカメラが見せる夕暮れのローマに嘆息するまで、1つとして平凡なカットはない。

やはりソレンティーノは変わっていない。いつも孤独な男の物語で何も起きないが、最後に唐突などんでん返しがあるだけ。イタリア映画祭で上映した『愛の果てへの旅』(04)は、毎週お金をスイスの銀行に預ける孤独な男の話だったし、『家族の友人』(06)は、ケチで醜悪な田舎の高利貸しの男の話だった。

『きっと ここが帰る場所』(11)に至って、ようやくわかりやすい物語が出てきた。孤独な元ミュージシャン役のショーン・ペンが、とりあえずアメリカに旅立ち、自分探しをして帰ってくるのだから。今回も、自分探しはないことはない。最後に「大いなる美」(原題、英語だとグレイト・ビューティー)を探したがどこにもなかったと主人公の作家が言って、再び小説を書く決意をする。

このプルーストばりの結末は、しかしそんなに深刻なものではない。どこか取ってつけたようなところがあって、それがいい。何よりも全編に漂う倦怠感や宿命の哀しみのようなものが、安易な結末を許さない。

主人公のトニ・セルヴィッロの身体そのものが、その哀しみを体現する。夏のローマで、赤や青や白や紺のジャケットやスーツを着て颯爽と現れる彼の姿は、惚れ惚れするほどカッコいいが、それゆえに喜劇的だ。田舎に帰る友人を喜劇役者兼監督のカルロ・ヴェルドーネが大真面目に演じているのもいい。主人公が後半に出会うダンサーのラモーナを演じるサブリーナ・フェレッリも懐かしかった。

こんな映画がアカデミー賞を取ったり、ヨーロッパ映画賞の最優秀作品賞を取ったりするのだから、まだまだ世界の映画界は捨てたものではない。もちろん日本で配給されるのも素晴らしいが、当たるのか心配だ。

どうでもいいが、トニ・セルヴィッロが見せる10通り以上のジャケットとシャツとポケットチーフの組み合わせは、これぞイタリア男のダンディズムという感じ。クレジットは見逃したが、どこか特定のブランドだろうか。映画の中でもスーツのブランドへの言及があったし。

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