アニメの見世物性
『アナと雪の女王』がこの週末で興収200億円を超える勢いだが、アニメは映画の起源と共にある。映画は最初はいわゆる見世物から始まったが、アニメはさらにその性格が強かった。細野宏道著『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』を読んで、そんなことを考えた。
この本は、最初のアニメと言われるジェームス・スチュアート・ブラックトンの『愉快な百面相』Humourous Phases of Funny Faces(1906)から始まる。ちなみに私はこの映画をユーチューブで見ていたが、もっときれいな映像が米国議会図書館HPの「アメリカの記憶」というコーナーで見られることを、この本で知った。
3分ほどの映像だが、黒板に人の手が男女を描いて消したりするだけの素朴なものだ。手がなくても絵が描かれ、いつの間にかアニメになっている。これは当時、チョークを使って人前で絵を描くパフォーマンスがあったからだという。ヴォードビル劇場(見世物小屋)では「稲妻スケッチ」Lightning Sketchというジャンルがあった。
監督のブラックトンは、まさにこの芸人だった。彼が1900年に作った『魔法の絵』The Enchanted Drawingは、アニメとは言えないが、本人が出てきて白い紙に絵を描くだけ。描いたワインとグラスが次の瞬間に本物になるのが見どころだが、これはフランスのメリエスがやっていたカメラ停止(カメラを止めて状況を変えてまた撮影)のマネでしかない。アニメはそこから生まれた。
この本から離れるが、メリエスと言えばもともとは魔術師で、自分の劇場の魔術の出し物の一つとして映画を始めたことで知られる。やはり起源に見世物がある。しかし彼はアニメまで考えられなかった。
エジソンやリュミエール兄弟の映画発明以前にアニメの原型を作ったのもフランス。エミール・レイノーは1880年代に自分で書いた連続漫画を鏡と幻燈を使って自ら映写し、お金を取っていた。テアトル・オプティック(光学劇場)と呼んでいたが、これまた見世物小屋。数本映像が残っているが、立派なアニメだ。
本に戻ると、ブラックトンの次に出てきたウィンザー・マッケイは新聞の連載漫画家からアニメを始めた。彼の傑作『恐竜ガーティ』Gartie the Dinosaur(1914)には、前半とラストに本人が出てくる実写がある。期限までに恐竜の漫画が描けるか賭けをするというものだが、これが最初はなかったという。
本人が各地の上映に出かけて行ってパフォーマンスをしていたが、新聞の編集長から漫画の連載が滞ると禁止されたらしい。そこで実写を加えて自分の存在を示した。あの実写にこんな微笑ましいエピソードがあったとは。
今日はちょっと大学の講義風になったけれど、備忘録ということでお許しを。ちなみに今日触れたアニメは、原文タイトルで検索したら動画が見られる。なお、本名の「ミッキーはなぜ口笛を吹くのか」については、たぶん後日書く。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 椹木野衣『戦争と万博』の世界観(2026.04.02)
- 『アルジェリア戦争』を読む(2026.03.29)
- 高橋源一郎『ぼくたちはどう老いるか』にめまい(2026.03.19)
- 遠藤周作『留学』に考える(2026.02.01)
「映画」カテゴリの記事
- 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は不思議なSF(2026.04.08)
- 初期アサイヤスに震える:続き『無秩序』(2026.04.12)
- 『自然は君に何を語るのか』の自然とは(2026.04.04)
- 『金子文子』の迫力(2026.03.31)


コメント