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2014年5月13日 (火)

行徳ノスタルジア

先日書いた「高田馬場ノスタルジア」や「福岡ノスタルジア」が予想外に好評なので、時々このシリーズを書いてみたい。高田馬場の後に住んだのは、千葉県市川市の行徳。地下鉄東西線の駅があるところだ。

なぜ高田馬場からそんなところに越したかというと、勤務先の寮があったからだ。政府系の特殊法人で紀尾井町にあったが、あちこちの売れ残りマンションを安く買って、寮として職員に貸し出していた。

20か所くらいあっただろうか。23区内は葛西くらいで、あとはどこも辺鄙な場所だったが、各マンションで1つか2つだけで、普通の寮と違って夜に職場の同僚と会わないのが良かった。

4月に勤め始めて独身者用のマンションがあるかと聞くと、行徳に2DKがあるという。40平米くらいで家賃はたったの1万円ほどだったので、GWに引っ越すことにした。これまで1人で住んだアパートに比べてずいぶん広かった。それに、一応分譲用マンションなので、作りもしっかりしている。

そこから歩いて12分ほどで行徳駅に着いた。途中は何もない。畑とか、駐車場とか、スーパーとかがポツポツとあったくらい。「郊外」というものを、生まれて初めて意識した。

東西線に乗るとぎゅうぎゅうに押し詰められた。自分が「サラリーマン」になったと痛感した。飯田橋で乗り換えて、麹町で降りたところにオフィスがあった。紀尾井町パークビルという、一時期角川映画が入っていた建物で、今見るとただの雑居ビル。ただ大学院生から突然会社員になった身には、キラキラ輝いて見えた。

とにかく週5日か6日(当時は月に一度交代で土曜日に勤務していた)行くだけで給料がもらえた。ロクな仕事はしなかったので、最大の労働は通勤だった。

仕事が終わるとまっすぐ帰り、自分で肉や野菜を料理してビールで流し込んだ。いつも大量に肉を買っては、全部食べていた。

いろいろな理由をつけてそこに連れてきた女性は、3人いた。イタリア人と日本人2人。孤独に耐えきれず、2人目の日本人女性と結婚して、そこに一緒に住み始めたのは行徳に移って2年ほどたってからだった。そこにはさらに3年ほど住んだと思う。

5年ほど勤めると、遅くまで仕事をするようになった。終電が東陽町までのことがあり、そこからヤクザがやっている白タクに何度も乗った。ごくまれに、紀尾井町からタクシー券で帰ったこともあった。そんな時の、だだっ広い道路に何もない夜の行徳周辺の雰囲気を、今でも思い出す。

数年前にかつて住んだマンションに行ってみたことがある。マンションのそばには妙典という新しい駅ができていて、近くにシネコンまであった。当時の寂れた感じはなかった。

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