『her 世界でひとつの彼女』の描く近未来
6月28日公開の『her 世界でひとつの彼女』を見た。スパイク・ジョーンズ監督は、『マルコヴィッチの穴』(00)や『アダプテーション』(03)で見る者の脳髄を揺さぶるような映像を見せてくれたが、最新作もその危ない知性は健在だ。
舞台は近未来のロス。主人公のセオドアはかつては新聞記者だったが、今は手紙の代筆業が仕事だ。といっても、パソコンの前で口を動かせば、手書きの文字が画面に現れる。そんな毎日の男が、ある時パソコンであるOSを見つけ、そこから語りかける女性サマンサと仲良くなる。
ちょうどスマホくらいの大きさの機械をポケットに入れ、イヤホンを耳に差すとサマンサが話しかけてくる。「メールが2通届いているわ。1つは住宅の売り込みね」という具合。映画は主人公とサマンサが次第に愛し合ってゆくさまを見せる。
つまりは、主人公がイヤホンを差してひとり言を言っているだけ。もちろんそれだけでは映画にならないので、離婚協議中の妻や夫と離婚する女友達などとの人間模様も描かれる。何より恐ろしいのは、街の中で多くの人々がイヤホンを差してひとり言を続けながら歩いている場面だ。
地下鉄の中で、ほとんどの乗客がスマホばかり見ている現在の風景に限りなく近い。この映画がうまいのは、近未来の風景を現在とはどこか違う感じでノスタルジックに描くところだ。ホアキン・フェニックス演じる主人公のオレンジや白のシャツを始めとして、全体にくだけたラフな感じの人々や風景の色合いが限りなく愛おしく見えてくる。
サマンサとの愛も、言葉だけのセックスから代理の実在する女性を使ったセックスを試みたり、もう一人の男性がOSに現れたりと微妙に進化する。そしてある時主人公はOSが反応せず、しばらくして「私たちはソフトのアップグレードでサービスを中止していたの」と告げられる。
いやはや、いかにもありそうな近未来を、かくも甘美に描く手法に脱帽した。中島哲也の映画のように、ちょっと映像に乗せられた感じはあるけれど、何とも心地よい時間を過ごした。
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