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2014年6月24日 (火)

ヴァロットン、登場

フェリックス・ヴァロットンという画家をご存知だろうか。19世紀半ばにスイスに生まれ、パリで「ナビ派」の1人として活躍した。彼の日本で初めての個展が、丸の内の三菱一号館美術館で開催されている。

同じナビ派でも、ピエール・ボナールとかモーリス・ドニなどに比べて、影が薄い。その全貌は全く謎だったが、今回の個展を見て、巨匠と言えるような個性を持った画家だと思った。

ヴァロットンの絵には、ナビ派の特徴である装飾的な色彩はあるけれど、それ以上に構図がおもしろい。ポスターなどにも使われている《ボール》(1899)は、少年がオレンジのボールを追いかけている絵だが、左奥には木影の中に立つ男女が実に小さく描かれている。

まるで1つの画面の中で、別々に撮られたショットが合成されているかのようだ。室内を描いた絵は、見ていると恐ろしくなる。《夕食、ランプの光》(99)は、食事をする4人の視線が全く交わっていないようだ。《貞淑なシュザンヌ》(1922)は、ソファで若い女に近づくハゲの男2人を描いているが、その怪しげな感じは、ほとんどヒッチコックの映画だ。

そんなことを思っていたら、カタログを見ると監修者の1人でオルセー美術館長のギ・コジュヴァル氏による、ヴァロットンと映画についてのインタビュー記事があった。そこでは、ヴァロットンの作品が、ヒッチコック、フリッツ・ラング、ムルナウ、ブニュエルといった監督たちのショットに比べられていた。

それはそうだが、時代的にはそれらの監督は少し後だ。それよりも、その孤独な人間たちの群像は、ノルウェーのムンクやデンマークのハンマースホイ、あるいはアメリカのエドワード・ホッパーを思わせる。つまりヴァロットンは、およそフランス的ではない、北国の画家たちに連なっているのではないか。

いずれにしても、この個展でヴァロットンという画家を初めて発見した思いだ。その意味で、今年一番の展覧会かもしれない。この展覧会は昨年秋にパリのグラン・パレで開催され、その後アムステルダムのゴッホ美術館に巡回して東京に来た国際巡回展だ。東京もそういう巡回に加わるようになったかと思うと感慨がある。

実を言うと、2005年頃、来日した当時のオルセー美術館長とアンリ・ルソー展の企画打ち合わせを東京国立近代美術館でやった時、先方からルソー展は難しいがヴァロットン展ならできると言われたことがある。私はそんなマイナーな画家はできないと即座に断ったが、やはり先見の明はなかった。

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