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2014年6月26日 (木)

『暖流』のエネルギー

またフィルムセンターに行って増村を見た。午後に時間があるとソワソワしだし、3時の回に駆け込む。今度見たのは『暖流』(1957)。増村のデビューはこの年の『くちづけ』だが、その年だけで何と3本も撮っている。

そして翌年もその翌年も4本ずつ。新人がデビューから3年で11本というのはすごい。もちろん、1958年は映画人口がのべ11億人を超えた史上最高の年で、それだけ需要があったということなのだろうが。

鮮烈さ、直截さが印象的な『くちづけ』から、3本目の『暖流』では別のトーンが生まれている。登場人物や場面を過剰さが埋め尽くしている。人間の情熱が過激になって異常さに達しているというか。

物語は、倒産寸前の大病院を根上淳演じる日疋が建て直すというもので、その中で出会う創業者の娘啓子(野添ひとみ)や看護婦の石渡(左幸子)との恋愛が描かれる。

仕事のために女も使う根上のエネルギーもすごいが、根上への愛を隠さない左がすさまじい。出張する根上を東京駅で見送る左は改札の前で「情夫でも2号でもいいわー!待ってるから―!」と大声で叫ぶ。あるいはブランコを大げさに揺らしながら「愛するって、すれっからしになることなのね」

彼女が人目もかまわず根上にまとわりつき、笑いながら走り回って顔を左右に振って喜びを表現するたびに、画面一杯に毒が広がるようだ。それと対照的に野添は自分の感情を押し隠し、最後に告白するが、その時は既に遅い。その秘めた熱情もじんじんと伝わってくる。

そのほかバカ息子を演じる船越英二の馬鹿げたシャンソンも常軌を逸しているし、彼のもとで歌を歌う美輪明宏(当時は丸山明宏)の存在も異様さを掻き立てる。そのほか、看護婦が集まる病院や金持ちの集まるパーティでは、画面一杯に女たちが話したり、騒いだりして動き回る。

結局、根上は上流階級に入ることを拒み、戦争で両親を亡くして資産も何もない、エネルギーだけで這い上がる「似た者同士」の左を選ぶ。これが増村の思想だろう。

映画は最初に病院の門が開くところから始まり、その異様な世界が終わって、根上が左と病院を去り、門が閉じるところで終わる。これまたAからA´。

いけない、これは増村中毒になりそうだ。

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