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2014年7月14日 (月)

36年前のカルテ

最近一番驚いたのは、36年前のカルテが病院に残っていたことだ。九州の田舎の病院に、高校2年生の時の手書きの外来診療録や日々の診察記録が残されていて、先日その1つが送られてきた。

なぜそんなものを入手したかというと、弁護士になった高校時代の友人と会っていたら、集団肝炎訴訟の話を聞いたから。私は高校生の時に肝炎にかかって2年近く入院した。最近の判決では、その頃の肝炎は当時の医療体制がお粗末だったことが原因で、国家賠償が決まったという。

確かにそんな話を新聞で読んだ気がする。とにかく当時の記録がないかと実家に帰った時に探したが、もちろん病院の領収書も何も一切残っていなかった。そもそも自分が最初に病院に行ったのが高校の2年か3年かさえ、記憶から消えていた。

東京に戻って、暇を見つけて行った病院すべてに電話してみた。まず、某大学病院に電話したが、5年以上前のカルテは廃棄しているとの答えだった。次に半年くらい入院した某国立病院に電話したが、ここは別の病院が経営していて、教えてもらった国立医療センターに電話したが、やはり廃棄しているという。それぞれ電話のたらい回しで、時間もかかった。

そこで最初に行った地元の大きな私立病院に電話したら、お爺さんに電話が代わり、あるかもしれないという。1時間後に電話がかかってきて、ありましたから送りますとの答え。おもしろくなって、最後に入院していた隣町の市立病院に電話したら、即座に「昭和51年以降の記録は原則として保存しています」。

今のところ、私立病院の記録が送られてきたのみだが、これで高校2年生の8月9日に初めて病院に行ったことが明らかになった。多くは英語や略語だが、「2~3日気分が悪く、吐気がする。腹が張る感じ」などと書かれているのが読めた。そこから大学病院を紹介されたこともわかる。

こうなると1年ほど入院していた市立病院のカルテも楽しみになってきた。私は昔の写真もほとんど持っていないし、実家には本当に何も残っていない。だから病院の記録は貴重で、それを見ているだけでその時の気持ちが蘇ってきた。

結局肝炎で長く入院している間に、志望は法学部から文学部に変わった。それがたぶん今の自分につながっていると考えると、病気したのもよかったかもしれないと思う。

それにしても完治したとはいえ、元肝炎患者がこんなに酒を飲む毎日を送って大丈夫なのだろうか。ちゃんと毎年検査しているが、肝機能は完全に正常値。まあ、飲み続けてポックリ死ぬのもいいか。

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