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2014年7月13日 (日)

増村の2つのベクトル

増村の2つの違ったベクトルを見せるような2本を見た。1本は『華岡青洲の妻』(67)でもう1本は『大悪党』。前者はいわゆる芸術的な意欲作で、後者は娯楽映画だが、どちらもいい。

『華岡青洲の妻』は、市川雷蔵が医者で、その母が高峰秀子、妻が若尾文子のうえに、ナレーションが杉村春子という豪華メンバー。江戸時代の世界初の全身麻酔手術を、嫁姑の確執の中で描くという設定自体が、相当に意欲的な企画と言えよう。

高峰と若尾が競って雷蔵の麻酔の実験台になろうとするさまが、すさまじい。同じ画面に3人が別々の方向を向いて写り、飄々として一切の感情を出さない雷蔵の横で「私が先に」と争う高峰と若尾。雷蔵が母親用には弱い薬を使ったと告白した時の高峰は、口惜しさのあまり呻きながら部屋を出て台所に倒れる。そしてしばらくたつと死んでしまう。

傑作の誉れ高いし、昔見た時は興奮したが、今回は演出意図が見えすぎて、少し退屈した。その意味で『大悪党』は完全な娯楽作だが、十分楽しめた。

出演は、「大悪党」のやくざが佐藤慶で、彼に騙される女が緑魔子、彼女を救う弁護士が田宮二郎。緑は専門学校に通う真面目な学生だが、佐藤に薬を飲まされて彼の家に軟禁される。それを救うのが弁護士の田宮二郎だが、彼の異様に陽気な調子は、増村映画の会社員像に近い。

『痴人の愛』の安田道代と同じように上半身裸の緑が何度も映り、ゆすりのために田宮が撮った彼女の裸の写真(もちろん乳首ばっちり)も執拗に出てくる。安田道代や緑魔子のような新人は、当時のお色気路線にぴったりだったのだろう。

田村は「生きるってことは戦いだよ」「キミ、現代はウソの時代だよ。テレビのCMも政治家の話もみんな嘘じゃないか」と緑を説得しながら、裁判に勝ってしまう。

さらにラストにびっくり。緑は「先生のおかげで人を殺したわ。もう何も怖くない。今までは男たちの道具になったけど、これからは男たちを騙すわ」と500万円を持って颯爽と出てゆく。田村は「普通は許さないが、今回はしょうがないか」と苦笑して、エンドマーク。

増村の映画はどこかにユーモアがあった方がいい。スピードや誇張はそれでこそ生きる。

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