『愛と暴力とその後』を読んで絶望的になる
赤坂真理著の新書『愛と暴力とその後』を読んだ。どこかの書評で紹介されていたし、題名も気になった。赤坂真理は小説『東京プリズン』が好評だったが、私はあまり好きでなかった。
日本の戦後史に対する作家の思想が出過ぎていて、小説としてのおもしろみが少なかった気がしたからだ。だから同じテーマのエッセーならばおもしろいだろうと思ったが、それはアタリだった。
部分部分には納得し、鋭い指摘が並んでいるのだが、全体を読み通すと、何を言いたいのかわからなくなる。思想ではなく、日々思いつく怒りを綴った感じで、そのゴツゴツした感じが悪くない。
彼女は1964年生まれで、私とほぼ同じ世代。「私は戦後の典型的なものたちが、風景を埋めてゆくときに育った。誰かが何かを忘れようとしていた。……今思い出してみて驚くのは、本当は隠されていなかった、ということだ」。これはプロローグの一文。
「現在私たちが脅威に、あるいは恐怖しさえしている「理解不能の友人」中国共産党、それこそが、日本の戦後復興の「恩人」であった可能性が高い。なぜなら、中国が今の共産党ではなく自由主義の中国国民党の政権であったなら、アメリカは戦後、中国と直接交渉をし、小島のような日本のことなど、さしたる興味も持たなかったはずである」
「大日本帝国は大局的な作戦を立てず、……嘘の大本営発表を報道し、国際法の順守を現場に徹底させず、命令で自縛攻撃を行わせた、世界で唯一の正規軍なのである。……それは、正規軍と言える質だったのだろうか」
彼女はオウム真理教の盛衰を見て、大日本帝国に似ていると考える。あるいはあさま山荘事件の鉄球作戦が、東京オリンピックを作るために東京を破壊した鉄球と同じだと看破する。
つまりは「ひとつの国や民族が、これほどに歴史なしに生きて行けるのだろうか?/私の国の戦後は、人間心理の無意識な実験のようである。/どれだけ歴史を忘れてやっていけるか」
明治以降の、あるいは戦後の日本人の歩みを意識するだけで、絶望的な気分になる。それでも我々はそれを忘れてはいけないとけしかける本だ。今年の初めに読んだ、白井聡著『永続敗戦論』のエッセー版かもしれない。
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