大正時代の感覚
最近9つ上の姉と会ったら、朝日新聞の『こころ』の連載を毎日読んでいるということで、意気投合した。意外にそういう人は多いのかもしれない。夏目漱石の『こころ』は、今からちょうど百年前、つまり1914年、大正2年に朝日に連載されていて、最近朝日で再録連載が始まった。
今は「先生の遺書」の本文がようやく始まったところだが、それを読みながら思うのは、当時のインテリが今とさほど変わらないことだ。世の中の変化に驚き、英語を学んで文学を仕事にしようとする自分が郷里の両親とかけ離れてしまったことを悟る。
大正時代は円タクとか円本が出て、大衆化社会が始まったとされる。その中で文学者は江戸文化が廃れることを嘆き、世に蔓延る成金を馬鹿にする。
最近手に取った岩波文庫の『芥川竜之介随筆集』は『こころ』より少し後だが、世代が若い分、大正教養主義の香りはより強い。『随筆集』の最初に収められている「大川の水」という文章は、唯一『こころ』と同じ年に書かれたもの。
「もし自分に「東京」のにおいを問う人があるならば、自分は大川の水のにおいと答えるのに何の躊躇もしないであろう」。この文章には以下の文が足されている。「その後「一の橋の渡し」の絶えたことをきいた。「御蔵橋の渡し」の廃れるのも間があるまい」。既に消えゆく古い東京へのノスタルジーがある。
「一体大学の純文学科などと云うものは、頗る怪しげな代物だよ。ああやって、国漢英独仏の文学科があるけれども、あれは皆何をやっているんだと思う?実は何をやっているか、僕にもはっきりとわからないんだ」
これは今も通用するのではないか。なぜ全国の大学にあんなに文学部があるのか。東大の英文科に在学中の芥川が百年前にこう書いているのがすごい。
「僕が初めて活動写真を見たのは五つか六つの時だっただろう」。芥川は1892年の生まれだから、1897、98年の頃になる。見た映画は釣りをする男が大きい魚が引っ掛かって、池に落ちる内容だというが、たぶんエジソン社の初期映像にそんな場面があったと思う。芥川が映画の始まりから見ていたというのは興味深い。その後の文章で映画について触れているのは『カリガリ博士』だけだが。
こんな感じで、読んでいて飽きない。調子に乗って、今度は同じ岩波文庫の『漱石書簡集』も買ってきた。この夏は明治大正を巡るかな。
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