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2014年8月14日 (木)

「クロニクル1995」の脱力感

東京都現代美術館の常設展示室で8月末まで開催中の「クロニクル1995」展を見た。最近、都現美の企画展はどんどん今風でつまらなくなってきたが、そんな時常設展に足を運ぶとこれがおもしろい。今回は開館20周年記念で、1Fと3Fの常設展2フロアー全部を使って企画展示をしているというので、行ってみた。

都現美がオープンした1995年は、戦後50年であり、阪神大震災とオウム事件が起きた激動の年だ。そんな年を考える展覧会の出だしは、神戸の震災後を撮った芦田昌憲の写真。それは数点で、ホンマタカシの浦安や湘南の郊外を撮った大きな写真が続く。あるいは都築響一の撮るヘンな日本や小沢剛のギャグのような写真。

脱力系の写真ばかりと思ったら、大岩オスカールや丸山直文や小林孝亘の力のある絵画があって安心した。それにしても夢のような印象の絵ばかり。その後に奈良美智があるし。1995年の戦後の総決算を避けて、郊外や夢の中で遊んでいるような作品に見える。

唯一、入り口の舟越桂と最後の宮島達男のデジタルの数字の展示には、まさに時代の刻印を感じた。そのほかはちょっと違う感じがしたのは、自分が年を取りすぎたのか。都現美のコレクションのはずなのに、多くの写真を都写美から出しているのも筋違いだろう。

ここまでが3階で、1階は1995以降に出てきた作家が中心。むしろ石田尚志の映像や照屋勇賢の小さな紙作品、名和晃平や冨井大裕、金氏鉄平らのオブジェ、CHIM↑POMの映像などにゼロ世代の現代性と政治性を感じた。

一番驚いたのは、《指さし作業員》の映像が所蔵作品として展示されていたこと。これは福島原発の作業員がなぜかテレビに向かって指さすさまを撮ったもので、作家の竹内公太本人が演じている。これやCHIM↑POMのカラスの映像を購入するとは、なかなかではないか。

この企画展には章ごとのパネル解説があって、それを収録した小冊子も配布している。背伸びして哲学者や社会学者の文章を引用しているが、もっと美術に即しても良かったのでは。

同時に開催していた2つの企画展も、文字通り駆け足で見た。「ワンダフルワールド展」は4人の作家の子供向けの作品を展示している。子供たちが楽しそうだったし、見た目も愉快な展示。もう1つの「ミッション[宇宙×芸術]コスモロジーを超えて」展は、最近の都現美得意の大言壮語妄想型の展覧会。宇宙の写真と現代美術と広告を思わせぶりに混ぜてどういうつもりだろう。

1995年に戻ると、この年は私にとっては映画百年のイベントの年だった。リュミエール兄弟の展覧会をやり、リュミエールやメリエスの映画を全国で上映した。翌年はジャン・ルノワールの全作品上映。あんなに仕事をしたことはない。実は地震やオウムどころではなかった。

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