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2014年9月28日 (日)

ベネチアこぼれ話:その(4)カンヌ・ノスタルジア

今回のベネチアについて、国際映画祭でコンペすべてを見るのは初めてと書いたが、帰国後それは記憶違いだったことを思い出した。1985年のカンヌに参加し、コンペをすべて見たことがあった。大学4年生の時の話だ。

当時は1年間のフランス留学中で、パリ第3大学映画研究学科の3年生に登録していた。3月頃、映画史の授業でミシェル・マリ先生がカンヌとヌーヴェルヴァーグの関係について話していた。授業後ふと思い立った私は、「どうしたらカンヌに行けますか」と聞いてみた。

すると先生は「外国の新聞に書くと言えば簡単だ」と言って、手帳を広げて映画祭の事務局の電話と住所を書いてくれた。当時フジ・サンケイグループから奨学金をもらっていた私は、そのまま産経新聞のパリ支局に出かけた。でっぷりと太った鷹揚な感じの支局長は、「何でもサインするから申請書をもらってきなさい」

そこでカンヌ映画祭の事務局にすたすたと出かけて行ったら、プレス担当の女性が出てきて(後で有名な方だと知った)、「産経新聞なら問題ありません」と用紙をくれた。それを産経新聞に持って行ってサインをもらって、投函した。ついでに産経にレポートを書けないかと支局長に聞いたが、「それは無理だよ」

当時福岡の大学にいたので、思い立って西日本新聞の編集局長あてに手紙を書いてみた。すると文化部次長の吉田さんという人から返事が来て、「3回続きで書いてみてください、写真も何枚かつけて。ただし載らない可能性もあります」

とにかく暇だったので、カンヌの始まる3日前にニースに行き、美術館に行ったり、モナコに行ったり。カンヌには前日に入って町中を観光したくらい。

その時に出会った方の多くは、もう亡くなられた。高野悦子さん、川喜多かしこさんと和子さん、ヒロコ・ゴヴァースさんなど。お元気なのは読売の河原畑さん。彼の颯爽とした姿を見て、新聞の映画記者になりたいと思ったが、それはかなわなかった。

その年のグランプリ(当時はこれが最高賞)は、無名だったエミール・クストリツァ監督の『パパは出張中!』。その授賞式をプレス向けの会場で見た私は、ホテルに戻って3回分の記事を鉛筆で原稿用紙に書いた。翌朝カンヌの中央郵便局に行って、既に現像していた写真と共に西日本新聞に送った。

それは10日ほど後に本当に上・中・下で掲載された。それを知ったのは、母からの電話だった。その記事のコピーはもうどこかに行ってしまった。縮刷版を探せばあるはずだが、とても見る勇気はない。

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当時の君のことを思い出すよ。

投稿: くぼ | 2014年9月28日 (日) 07時48分

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