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2014年9月10日 (水)

フクシマについて考え続ける映画

ベネチアからパリを経由して帰国して最初に見た映画は、船橋淳監督の『フタバから遠く離れて 第2部』。時差ボケもあってフラフラしていた頭に、ガツンと響いた。もちろんこれは2年前の同名ドキュメンタリーの続編で、11月公開。

前作は、原発事故によって埼玉の旧騎西高校に移住をした双葉町の人々の毎日を9か月間追ったものだった。今回はその後の人々を描く。

前作で大活躍を見せた井戸川町長は、何と2013年2月に不信任決議案を出されて辞任し、避難先の選挙で新たに伊澤史朗氏が選ばれた。彼は旧騎西高校から役場と住民の住まいをいわき市に移転させる。

画面には震災から何日目に、旧騎西高校に何人残っているかが刻々と写る。今年の3月27日、震災から1111日目に住民が大掃除をして、高校を埼玉県に返還する。

すぐにいわき市の仮設住宅に移った住民と埼玉に留まった住民の間には深い溝ができる。それ以上に気になるのは、井戸川町長を追い出した議員たちや、新市長の「大人」の対応だ。新市長は東電主催の原発市町村協議会でも発言しない。そしてそれはどうも住民の支持を得ていないことが伝わってくる。ちなみに協議会の会長を務める敦賀市長はヤクザにしか見えない。

もっと気になるのは、町長辞任などの事件の時だけ現れるマスコミ集団の姿だ。記者会見で「ソロバン教室のように」(@朝日新聞・大鹿靖明記者)にバチバシとパソコンを叩く彼らは、明らかに被災者の方を向いていない。映画が被災者の日常を淡々と追い掛けることもあって、記者たちの軽さ、いい加減さが目につく。

前作と同様に、被災者たちの日常の合間に挟み込まれる風景が美しい。捨てられた街のはずなのに、カメラが移動しながら夕日の中の街並みを見せてゆくと、詩情が溢れてくる。「原子力 明るい未来のエネルギー」という看板や食堂、クリーニング店など。新市長夫妻は、ここが繁華街でしたと紹介する。住民が去った後の誰もいなくなった校舎が写る。そこもなぜか美しく見えてくる。そこに流れるオーボエを中心にした音楽もいい。

最後に双葉町に中間貯蔵施設を作る説明会が開かれて、旧井戸川市長は炸裂する。「なんでこの場に東電がいないのだ」。新市長は施設が作られる地区を指さして説明する。ススキがそよぐ荒野を見ているとたまらない気持になる。

震災から3年半。原発問題は何も解決してないことを改めて知るために、フクシマについて考え続けるために、この映画はみんなに見て欲しい。

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