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2014年9月15日 (月)

『舞妓はレディ』のうまさと退屈さと

『舞妓はレディ』を公開2日目に劇場で見た。見ながらどこか乗れない自分がいたが、見終わると満足感が一杯だった。この不思議な感覚は何だろうか。

周防正行監督の演出は正統的でうまい。最初に草刈民代が緋牡丹博徒まがいに仁義を切って優雅に片肌を見せ、その後に本物の藤(富司)純子が現れてビックリする。それからしばらくすると、田舎娘(上白石萌音)が出てきて、突然歌い出す。それをカットを割らずに、ミドルショットで正面から見せる。

娘が学ぶ祇園のきまり事を細かく見せる。稽古の数々。すべて細部をきちんと見せる。時おり挟まれる歌や踊りも十分に準備されていて、見ていてどんどん楽しくなる。

何より主人公の上白川萌音がいい。素直で才能に溢れ、どんどん上達し、映画の中で美しくなる。彼女の母のことをみんなが知っていたことがわかる瞬間には、思わず涙してしまう。

それでも最初からどこか乗れなかった。オープンセットがあまりにも作りものだったせいか。あるいは純粋なミュージカルではなく、時々歌を披露する感じが気恥ずかしく、どこか引いてしまったのだろうか。そもそもドラマが弱すぎるのではないかとも思った。

最近の『それでもボクはやっていない』(07)や『終の信託』(12)が綿密に組み立てられた人間ドラマだったけに、今回のゆるさというか、居直りのような安定感が最初から見えたのが、どこか違うと思ったのか。

いずれにしても最後まで見ると、満足満足という気分になったのは、満員の観客と同じ。周防監督初期の楽しい感じと演出の安定感が混ざり合って、新境地に達したとも言えるだろう。

個人的には娘を指導する教授役の長谷川博己と若い常連客役の高嶋政宏はいま一つだったが、富司純子を始めとして、岸部一徳、竹中直人、小日向文世などなど名優たちの真っ当な演技を堪能した。ちょい役だが、イタリア観光協会のジローラモは失敗だろう。

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