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2014年10月26日 (日)

東京国際映画祭はやはりダメか:その(4)

今年は何がダメかといって、プレス試写の予約システムがひどい。朝日も読売も日経も、映画記者たちが怒っている。10時からネットで予約開始だが、なかなか入れず、5分後に入れたと思ったら「満席」の表示。「報道しなくて結構、という意思の表示」と言う記者もいた。

それはさておき、コンペで中くらいの作品を2本見た。フランス映画の『来るべき日々』とアゼルバイジャン映画の『ナバット』。

『来るべき日々』はロマン・グーピルの新作で、2年前にこの映画祭で上映された『スタンズ・アップ!』がかなりおもしろかったので期待していた。出演するのが本人に加えて、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキにマリナ・ハンズに監督のノエミ・ルヴォルスキだし。

ところが今回はオヤジの自伝的エッセイという感じの作品だった。映画監督である主人公は、60歳になって役所から届く文書をきっかけに、死の準備を始める。そしてそれを映画に撮る。そこに過去のサラエボで撮った若かった妻の映像が入り込む。ラストの葬式のシーンには、マチュー・アマルリックやアルノー・デプレッシャンまで登場していた。

監督役を自分で演じ、妻や息子の過去と現在の映像を見せ、映画界の友人たちを出演させる。ナルシスティックな中年男の悲哀と楽しさが伝わってきて魅力は十分にあるのだが、何を言いたいのかわからない、という人も多いのではないか。いずれにしてもコンペ作品というよりは、本来の「アウト・オブ・コンペ」(東京国際の「特別招待作品」ではなく)かあるいは監督週間のようなセクションで上映する映画だろう。

映画を見ると、「来るべき日々」とは「いざという日」と訳すべきだとわかる。「いざという日には、ここに電話を」というステッカーをアチコチに貼っておいて、そこに電話すれば葬式から何から何までやってくれるというシステムは悪くない。事前にお金を払っておけば他人に迷惑をかけず自分の流儀で死ねるのだから。

『ナバット』はエルチン・ムサオグル監督の作品だが、最近の東京国際のコンペによく登場する辺境もの。山奥に住む中年女性の毎日を舐めるようなカメラでじっくり撮るが、どこか思わせぶりでついていけなかった。女性には病気の夫がいて、彼らは22歳で戦死した息子のことを思い出す。

ランプをつけるシーンが執拗に繰り返され、遠くでは爆音が聞こえる。女は水を運び、牛を引っ張る。息子の部屋で女が見入る昔の写真。シュールなシーンも交じりながら、時おり感傷的なな音楽が混じる。国際映画祭でのウケを狙ったようなこうした「審美的な辺境もの」は、私は苦手だ。

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