« 昔のハーフの俳優たち | トップページ | 『悪童日記』の不気味な兄弟 »

2014年10月18日 (土)

万歳三唱は誰に向かってか

現在東大で「文化資源学」を教える木下直之さんは、かつての恩人だ。私が映画百年の展覧会を準備していた時に、神戸の美術館にいた彼は企画に賛同して「映画伝来」という展覧会に仕立ててくれた。

20年ほど前の話だが、その時から彼の関心は、美術や映画というジャンルが生まれる前の、曖昧な見世物の世界にあった。その後何冊も本を出しているが、最新刊の『戦争という見世物』を読んだ。

題名から予想して今回は大きな視点から本を書いたのかと思ったら、副題に「日清戦争祝捷大会潜入記」とあるように、明治27(1894)年12月9日の祝勝会を架空探訪したさまを微細に描く本だった。開催の前日に始まり、翌日まで3日間のできごとを、まるで見たように描くホラ話である。

日清戦争が終わって下関条約が結ばれるのは翌年の4月だから、この時点では実は戦争は終わっていない。それでも旅順が落ち、先方から講和条約の申し入れがある中で祝賀会を開いたのだろう。当時は反清感情が広がっており、「日本軍の連戦連勝の報に接したひとびとは、東京市祝捷大会に臨んで溜飲を下げたのである」

ページをめくると、切り首の形をした山車や提灯の絵があり、清の軍艦の撃沈劇、野戦病院の再現、分捕り品の展示会などが記述される。いやはやとんでもないナショナリズムだ。日本が最初に対外戦争をした盛り上がりが伺えて、今の反韓、反中感情を思わせないでもないが、とにかくすべてにのどかな感じがある。

この会で最大の問題は、弁当の不足と放尿にあったらしい。弁当はいくつかの料理屋が2万人分用意したが、数十万人の大衆が押し掛けて、分捕り合戦になったようだ。そのさまは絵入りで「読売新聞」に紹介されている。弁当屋の中には、「弁松」とか「松本楼」とか今もある店もある。どうでもいいが、私の大学では入試の時に「弁松」の弁当が出る。

「時事新報」は十分な便所を準備しなかったことを責めて、「放尿燎々流れて泉を為せり」と書く。トイレの問題と言うのは野外イベントをやれば今でも当たり前のことだが、当時はたぶんこんな規模のイベントは初めてだったのだろうか。

気になったのは、この会の最初と最後に「万歳三唱」があったこと。「天皇皇后両陛下万歳」というのは、この本によればその5年前に公布された大日本帝国憲法発布を祝う中で、皇居の二重橋前で始まったという。それから二重橋は「万歳三唱」の聖地となった。ところで、この祝賀会の時に天皇は広島の大本営にいる。「だったら今、われわれはいったい誰に向かって「万歳」を三唱したのだろうか」

誰に向かってかわからなくてもとにかく「万歳三唱」というムードは、今の日本にも流れているような気がする。

|

« 昔のハーフの俳優たち | トップページ | 『悪童日記』の不気味な兄弟 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/60494192

この記事へのトラックバック一覧です: 万歳三唱は誰に向かってか:

« 昔のハーフの俳優たち | トップページ | 『悪童日記』の不気味な兄弟 »