映画以外の釜山の話:その(1)
釜山にたった3泊しただけで何がわかるものではないが、私にとってこの滞在はいい意味でのショックだった。何というか、本当に心地よい旅だった。それは、空港で私の名前の書かれたボードを掲げた若い女性ボランティアの笑顔を見た時から始まった。
私をすぐに見つけたのが、とにかく嬉しそう。そしてホテルに着くと、ドアマンから日本語で「いらっしゃいませ」と言われる。そしてチェックインも日本語。
考えてみたら、これまで海外でホテルに行くと、いつもバカにされないように振る舞おうと身構えていた気がする。それがここではすべてが武装解除された感じ。IDカードを取りにタクシーに乗っても、ドアマンが事前に行き先を聞いて運転手に韓国語で知らせてくれるのでラクチン。
何より安かった。初乗りが250円ほどで、10分ほど乗って500円弱。10分おきにシャトルバスがあるし、少し歩けば地下鉄もあるのだが、ついタクシーに乗ってしまう。運転手はカタコトの英語や日本語が通じる場合も多い。
安いのは食事も同じ。カンジャン・ケジャン=毛ガニの醤油漬けは日本では食べたことがないが、抜群の味で安い。老舗の焼肉の店に行ったら、一軒家で武家屋敷のように庭をはさんで広間がいくつもあった。その一つに入れられると、まわりはすべて韓国人ばかり。子供からお爺さんまでの家族も、カップルも、会社員同士も同じ広間で大声で盛り上がっていた。
日本人が来ても誰も気にする様子はない。韓国の場合、メインを注文すると、キムチやサラダなどの小皿が6種類くらい並ぶ。もうそれだけで豪華な気分になる。小皿は食べ終わると、いつのまにか追加を持ってきてくれる。辛いものもニンニクも大好きなので、どの料理も合う。デパートのフードコートで500円くらいで食べたおでんのようなものとおにぎりセットも良かった。
私は九州出身だし、ひょっとして先祖は韓国ではないだろうか。そんなことを考え出した。すると、かつて就職で西武百貨店から内定をもらう直前に、東京の調査会社から実家近くのよろずやに電話があり、「古賀太さんはお父さんの名前に金の文字が入っているが、韓国系では」という問い合わせがあったことを思い出した。1980年代では韓国系は問題だったのだろう。
そんなことを考えながら帰りの大韓航空に乗ったら、新聞は「朝日」と「毎日」しかなかった。普通は「朝日」「読売」「日経」だろう。これは明らかに政治的選択。そう思うと急に呑気な気分が醒めた。
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