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2014年10月25日 (土)

東京国際映画祭はやはりダメか:その(3)

昨日は朝からアジア映画を2本見た。1本は「アジアの未来」部門のカンボジア映画『遺されたフィルム』とコンペのマレーシア映画の『破裂するドリアンの河の記憶』。どちらも見応えがあった。

『遺されたフィルム』はソト・クォーリーカーという女性監督の第一回長編。最近、リティ・パニュを始めとしてクメール・ルージュの虐殺やその後遺症を追う映画が増えているが、この映画もその1つだと思った。

大学生の娘が、駐車場になった古ぼけた映画館に入り込み、そこで見たポル・ポト以前の1970年代のカンボジア映画に魅了されるところから物語は始まる。政治的な告発と映画史的な発掘という志の高い映画かと思って見ていると、物語はずいぶんメロドラマだった。

娘が見た映画のヒロインが実は彼女の母で、映画館主は彼女に憧れていた男性というありえない設定で、それでもまじめにポル・ポト時代の真実を追ってゆく。さらに失われた最後の一巻を娘を主人公に新たに撮り直すという物語が加わる。ちょっと盛り込み過ぎだけれども、それも若さゆえの意気込みという感じがして、好感が持てる1本。

『破裂するドリアンの河の記憶』は、マレーシアのエドモンド・ヨウ監督の第一回長編。この監督は日本に留学していて、09年のベネチアに短編『金魚』を出していた時に会った記憶があった。才能のある若手だと思ったが、今回の長編を見てその成長ぶりに驚いた。

最初は草原や森でデートをする高校生のカップルが写る。ミンは高校を出て、オーストラリアに移住を考えるが、メイ・アンは市長の弟に嫁がされそうだ。悲恋の青春物かと思ったら、突然教室の時々爆発音がしたり、娘の亡くなったおじいさんが出てきたり、シュールな場面がさらりと挟み込まれる。

驚くべきは、メイ・アンは途中からいなくなり、中心はレア・アース工場の建設に反対する女性教師リムに移る。彼女は受験に役立つ勉強を教えず、子供たちに現代史を芝居で演じる課題を与える。それに真面目に応えるにはミンともう一人の女生徒フイ・ロン。

物語はどんどん解き放たれてゆくが、どこかでミンの視点が繋がっていて、全体を見終わるとその自由な想像力と繊細な抒情に圧倒される。この映画に賞が出ないようなら、この映画祭はダメだろう。

夕方は大学に戻り、11月22日公開の入江悠監督『日々ロック』試写。上映後は監督や俳優さんを交えてのトーク。この映画はどうして東京国際映画祭に出ないのだろうかと、ふと思った。

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