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2014年11月21日 (金)

『ナショナル・ギャラリー』で過ごす3時間

1月17日公開のフレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー『ナショナル・ギャラリー』を見た。181分の長さだが、まるで英国のナショナル・ギャラリーでその時間を過ごしたような気分になる、豊饒な時間だった。

最近のワイズマンは『パリ オペラ座のすべて』や『クレイジー・ホース・パリ 夜の宝石たち』のように、派手なパフォーマンスの世界を描くことが多かった。だから彼のカメラが美術館に入った時にどうなるのか、興味があった。舞台と違って絵画は動かないからだ。

しかし彼の世界は変わらなかった。美術館でのあらゆる活動をじっくりと見せる。清掃に始まって、教育プログラム担当や修復家の仕事、館内の広報会議、館内でのデッサン教室、学芸員へのテレビのインタビュー、額縁を作る様子、予算会議、講演会、オープニング、館内コンサート等々。

例によってナレーションも音楽もないし、話している人間が誰かも説明しない。聞いているうちにこのニックは館長だろうとか、このラリーは修復家だろうとか、何人かはわかってくる。でも多くは推察するしかない。今回の映画は特に、清掃係も館長も学芸員もボランティアもみんな同じように扱っている。

1つのシーンは数分から10分ほど。これが区切りも脈絡もなく続いてゆく。そこでいつも浮かび上がってくるのが、絵を見る無数の人々の顔だ。黙って絵を見つめる人の顔がこれほど美しいとは知らなかった。絵画に吸い込まれるような顔を見ているうちに、その息吹や気持ちが何となく伝わってくる。

絵そのものも十分に味わえる。美術館員の名前も役職もわからないのと同じように、絵画のキャプションもめったに写さない。もちろん説明の中からこれはターナーだ、ハンス・ホルバインだ、カラヴァッジョだとわかるものもある。しかし映画に出てくる無数の絵画の多くは、画家名も作品名もわからない。場合によっては部分しか映らない。だからかえって、絵そのものと向かい合うことができる。

それにしても、いわゆる「オールド・マスター」の充実していることといったら。レオナルド(・ダ・ヴィンチ)、カラヴァッジョ、ルーベンス、ベラスケス、レンブラント、フェルメール等々。印象派以降を中心とした日本の美術館にないものばかり。その大半は人物を描く。それを見つめる観客、それを解説する学芸員。顔、顔、顔。

ある意味で単調なこの映画の長さが快くなった時、映画は終わる。こんなに絵のおもしろさを教えてくれる映画はめったにない。映画好きはもちろん、美術ファンも必見。それから全国の美術館学芸員や展覧会の仕事をしている人に、是非見て欲しい。見ていると途中から他人事ではなくなるから。かつて私は美術展の企画をやっていたので、よくわかる。

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