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2014年11月29日 (土)

東京フィルメックスの意義はどこに:その(3)

今年はどうもフィルメックスとの相性が悪いようだ。見たい作品の時はこちらが用事があり、こちらが時間がある時は上映がなかったり、ベネチアや釜山で見ている作品だったりする。昨日見たのは、イランとアフガニスタン合作の『数立方メートルの愛』。

映画はテヘラン郊外のスラム地区を描く。主人公はそこにある鉄工所で働くサベルという青年。彼には好きな娘マロナがいて、時間があると倉庫のコンテナで密会する。

映画を見ていると、そこには警察の眼を逃れながら働くアフガニスタンから来た違法労働者が多数いて、マロナはその1人の娘だということがわかる。アフガン人たちが警察に見つかり、マロナも父親とアフガニスタンに戻らなければならない。

2人が会うコンテナという設定がいい。天井に空いた穴から光が差し込み、まるで天国のようだ。そしてコンテナとコンテナの間の狭い道。警察の捜査からアフガン移民が逃げて隠れる穴倉は逆に真っ暗で、地面は水が溜まっている。

さてサベルは去ってゆくマロナをどうするのかというところが後半のサスペンスだが、マロナの父親の「娘がイラン人に求婚されていることが親戚に知られたら生きていけない」と言うシーンが何とも悲しい。最後の象徴的な終わり方は少し残念だったけれど、アップとロングをうまく組み合わせたり、スローモーションを効果的に使ったりするするシャープな映像は見ごたえ十分だった。

監督のシャムシド・マームディはアフガニスタン出身でイランに移住しているという。まさに映画に出てくるアフガン移民で、舞台はすべてイランでペルシャ語。

テヘランの工事現場にいるアフガン移民の娘という設定は、マジッド・マジディ監督の『少女の髪どめ』(2001)を思い起こさせたが、今回の映画の方がよりリアルで、『少女の髪どめ』はむしろ詩的な仕上がりだったと思う。

欧州で使われた列車用のコンテナや使用済みのタイやが並んでいる風景は、かつて行ったドバイやアブダビの郊外でも見た。高層ビル街を少し離れると、忽然とスラム街が現れた。その時は「この世の果て」とはこういう場所のことかと思った記憶がある。

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