学園祭ノスタルジア
この連休は勤務先の大学で学園祭があった。教員は関係ないが、高校生向けの進学相談があるので行くことになった。午前中の相談が終わり、研究室で弁当を食べて昼寝を始めたとたんに、びっくりするような来客があった。
「来客ですよ」と言われておそらく卒業生かと思って研究室のドアを開けると、そこに立っていたのは懐かしの木下君だった。
「いやあ、お久しぶりやね」と博多弁で話してくる。名前と顔はわかるが、いつどこの同級生かわからない。おもわず「どこで一緒やったかね?」と聞くと、「月影荘」。さっぱりわからない。すると「大学一年の時の安アパートたい。僕が工学部で古賀君は文学部やったろうが」。
これで判明した。私が大学一年生の時に過ごしたアパートの住人だった。ところで、なぜ彼がここへと思ったら、「娘がこの大学を受験すると言いよって、進学相談に連れたきたばい」。進学相談のために妻と娘と共に福岡からやってきて、進学相談の順番待ちをしていた。その間にスマホでどんな先生がいるかと見ていたら、私の名前が出てきたらしい。生年や出身大学名を見て、「間違いない」。
そこで彼は受付に「古賀先生はいらっしゃますか」と聞いて、研究室にやってきた次第。それからは大学1年生の時の思い出話になった。そのアパートは1Kでバス、トイレは共同。家賃はわずかに月8千円だった。家主の奥さんはいつも古い流行歌を歌っていた。やたらに大声の佐賀出身の学生や、何年も浪人してバッハばかり聞いている理学部の学生がいた。
私は病み上がりだったので、健康のために自炊をしていて、時々みんなの分も作っていたらしい。「とにかくいろんな味の野菜炒めを食べた」というが、全く記憶にない。大学にはそこから歩いて通っていた。サークルにも入らず、本ばかり読んで、演劇や映画やクラシックコンサートに一人で行っていたらしい。学園祭にはたぶん行ってもいない。
思い出したのは、1年生の学園祭の日の夕方、電車に乗って小倉に田中泯の舞踏公演を見に行ったこと。興奮して帰ってきて、夜の9時過ぎに学園祭を覗いた。そこでは同級生達が酒を飲んで大騒ぎしていた。私は嫌になって、すぐにアパートに帰った。本当に孤独だった。
ところで木下君は、私が大学で教えていることにびっくりしていた。「いろいろあってね」とこれまでをかいつまんで話した。木下君には「先生は向いとるよ」と言われたが、どうだろうか。今でも学園祭の大騒ぎにはいらいらするけど。
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