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2014年11月10日 (月)

「日本国宝展」の見方

「国宝」という表記は、圧倒的にありがたい。日本の展覧会でこの文字を見ると、急に立ち止まって真面目に見ようという気になる。12月7日まで上野の東京国立博物館で開催中の「日本国宝展」には、何と国宝のみが百点以上出ている。

ところがこれが意外とおもしろくない。作品は東京国立博物館の所蔵品もあるが、大半は奈良や京都を中心として全国の寺院から借りてきたものだ。これに地方の博物館のものも加わっている。

これだけ集めるのは相当大変だったはずだ。私がいつも批判している「〇〇美術館展」とは逆で、手間暇がかかっている。「日本国宝展」はこれまでに何度か開かれていて、今回は「祈り、信じる力」がテーマで、確かにこの内容に合うものが集まっている。

なぜおもしろくないかは簡単で、時代も場所もさまざまなものが1点ずつ並んでいるからだ。いかに「祈り、信じる力」といっても、印象は極めて散漫になる。これならば、すべてを高野山の金剛峰寺から持ってきたサントリー美術館の「高野山展」の方が、その世界に浸れる。

同じ「国宝」でも見ていて楽しいものとそうでないものがある。素人に一番つまらないのは、「書」だろう。奈良時代の《大般若経》も平安時代の《日本書紀》も、さっぱり有難味がわからない。

これが絵巻になって絵が中心になると一挙に楽しくなる。平安時代の《地獄草子》や《餓鬼草子》、《源氏物語絵巻》など見ていて飽きない。私の大好きな《信貴山縁起絵巻》の展示が終わっていたのは残念だった。

驚いたのは縄文時代の土偶。紀元前2千年や紀元前3千年の《土偶のビーナス》や《縄文の女神》など、何とも可愛らしい。それから弥生時代の銅鐸の繊細さにも目を瞠った。

絵画の印象は意外に薄かった。雪舟の有名な《秋冬山水図》は思いのほか小さいし、《支倉常長像》もどうということはない。等伯の《松に秋草図》はもちろん傑作だが、ずいぶん色が褪せて見えた。

最後の奈良や京都の仏像が並んだ部屋はやはり楽しい。《薬師如来坐像》や《普賢菩薩騎象像》など、本当に拝みたくなる。

そんなこんなで楽しんだけれど、全国各地の「国宝」を並べたからといって、どうということはないことを実感した。ある寺の由緒あるものを一度に見る方がずっと楽しめる。こちらの方が私の好きな「個展」に近い。

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