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2014年11月26日 (水)

東京フィルメックスの意義はどこに:その(2)

昨日は走った。まず午前中、東京フィルメックスのサプライズ上映でウォルター・サレス監督がジャ・ジャンクー監督を撮ったドキュメンタリー『ジャ・ジャンクー、フェンヤンの子』に遅れそうになって、走った。ようやく間に合ったが、映画が終わった瞬間に駆け出す。

有楽町駅前の吉野家で牛丼をかき込み、2月7日公開の『はじまりのうた』の13時からの試写を見るために雨の中を京橋に走る。5分前に着いた。映画が終わってその映画の宣伝を担当している教え子と話をしていたら時間がなくなり、銀座1丁目駅に走る。

池袋駅に着くと所沢行の特急まで3分しかなかったが、走って間に合った。駅に着くとタクシーに乗って、授業の5分前に到着。雨の中を走りながら、そして授業中も考えていたのは、ジャ・ジャンクーの笑顔だった。

フィルメックスの上映では、今回の審査委員長でもあるジャ・ジャンクーが上映前に挨拶をした。この監督は何度も見たし食事をしたこともあるが、いつも大きな子供のようにニコニコしている。「とっちゃんぼうや」的な感じ。

挨拶でおもしろかったのは、彼の第一回作品『一瞬の夢』を1998年のベルリン国際映画祭の「フォーラム」部門に出した時、ブラジルのウォルター・サレス監督が『セントラル・ステーション』をコンペに出していて知り合ったのが、今回のドキュメンタリー製作の出だしと語ったところ。そして「フォーラム」部門のウーリッヒ・グレゴールさんに謝辞を述べた。

引退したグレゴール氏が会場にいたからだろうが、国際映画祭はこんな出会いを提供するのだと思った。司会の市山氏にもそこで会い、その後製作出資をしてもらうことになったことも語った。ドキュメンタリーが始まる前にいい話を聞いた。

映画は、ジャ・ジャンクーが自分の故郷である山西省汾陽(フェンヤン)を訪れるところから始まる。いきなり現れるのは近所のおじさんで、「ジャンクー、久しぶりじゃないか、元気か。何をしてる?」。おじさんはまさか相手が世界的な監督だとは知らないようだ。

それから初期作品に出ている俳優の同級生が現れ、『一瞬の夢』や『プラットホーム』が撮影された現場を訪ねる。あるいはかつての自宅。そこは汾陽市の監獄跡で、壁が厚い。今は別の家族が住んでいる。それからジャ・ジャンクーは自分の家族のことを語り始める。

父親は大学で演劇を教える教授だった。祖父は外科医で文化大革命が始まった時に亡くなったが、祖母は相当に苦労したらしい。監督の73歳の母親と姉も出てきたが、全く普通の人だった。

父親は『プラットホーム』を見たが、何も言わず、翌日「これが文革前か文革中だったら、反革命として逮捕されたぞ」と言ったらしい。「幸福が少ない人生だった」と父の死を語るジャ・ジャンクーが初めて涙を浮かべた。ニコニコ顔が唯一曇った瞬間だった。この映画については、後日また。

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