東京フィルメックスの意義はどこに:その(1)
映画祭「東京フィルメックス」は2000年に始まったから、今年で15回目になる。第1回はかつての銀座セゾン劇場(後のルテアトル銀座)で、12月もクリスマスに近い頃の開催だった。ジョニー・ウォーカーが協賛で、ウィスキーを配っていた。
そんなことを覚えている人は少なくなったのではないかと思われるほど、今では有楽町朝日ホールでの開催が定着した。個人的には新聞社勤務時代に係わっていたので悪口は言いにくいが、現在において東京フィルメックスの意義はどこにあるのかを、上映作品の感想とともに語りたい。
松竹からの派遣で東京国際映画祭で働いていた市山尚三氏が、松竹を辞めてオフィス北野に移ってから森社長の肝いりで始めたのがこの映画祭。そこにかつて川喜多記念映画文化財団に勤めていた林加奈子氏が2回目からディレクターとして加わった。
それ以来、林氏はディレクターとして、市山氏はアーティスティック・ディレクターとして今回まで続けている。その意味では「誰が選んでいるのかわからない」と言われ続けてきた東京国際映画祭に比べると、その方向ははっきりしている。
15年間毎年10本ずつほど見てきた私の印象を一言で言うと、「アジアの個性的な若手で欧州の映画祭で注目された監督作品を集める」といったところか。時には恐ろしく退屈な映画もあるが、確かに個性はある。ここで東京国際映画祭について触れた時に「我慢大会」と書いたが、これはもともと東京フィルメックスについていつも言われたことだった。
つまり、最近は東京国際が東京フィルメックス化しているとも言える。それはある意味では東京国際の作品のレベルが「相対的」に上がったことでもある。だから10月と11月に同じ東京で開くこの2つの映画祭が、実はだんだん似てきている。
さて昨日見たのは、イスラエル映画『彼女のそばで』。これは障がい者の妹と暮らす女性教師を主人公にしたもので、イスラエル映画だから政治的な内容を何となく予測していると、肩すかしを食うほどどこにでもあるようなテーマだ。その女性に同僚の恋人ができて彼女の家に移り住んでから、妹との関係が変わってくる。
手持ちのカメラで撮ったリアルな映像は好感が持てるし、終盤の展開もうまいと思った。だけど全体としては地味すぎてで劇場公開は難しそうだ。だいたい東京フィルメックスには、こんな作品が多い。これは今年のカンヌの監督週間に出た作品というが。
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