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2014年11月30日 (日)

東京フィルメックスの意義はどこに:その(4)

東京フィルメックスの意義の1つに、古い日本映画の回顧上映がある。小津や溝口のようによく知られている監督ではなく、清水宏や渋谷実といった「忘れられた」監督の作品を英語字幕付きで上映し、海外での巡回につなげてきた。

今回はいわゆる「松竹ヌーヴェルヴァーグ」の特集で、私が見たのは『武士道無残』(1960)。森川英太朗の第一回監督作品だが、この監督はその後松竹を辞めて、映画界を去ったらしい。

冒頭のシーンがすばらしい。砂浜を逃げる若侍を7、8人の侍が追いかける様子をロングショットで捉える。そして伊織が殉死を命じられるまでを、写真をつなぎながら複数の会話で見せる。

16歳で理由なく殉死を命じられた伊織を不憫に思う兄嫁は、夫の了解を得て最後の夜に関係を持つが、殉死は直前に中止となる。主君の命令で死ねと言われたり、生きろと言われたりする若者の不条理と、兄嫁との禁断の恋を巧みに結びつけた異色の時代劇だ。

途中からは冒頭のような映像の切れ味はなくなるが、それでも長回しと顔のアップを多用したカット割りは新鮮だし、伊織を演じる森美樹が何とも美しい。死の直前に兄嫁を思い出し、殉死が中止になってもその思いは止まらなくなって暴走するあたりがよくできている。

もう一つのミニ特集はデヴィッド・クローネンバーグの初期作品で、私が見たのは第一回長編の『ステレオ/近郊の喪失』(1969)。コンクリートの超モダンな建物にヘリコプターでマントを来た1人の若者が降り立つ。そこには男女が数人いて、テレパシー覚醒の実験をさせられる。

セリフも音もなく、男や女のナレーションが響く。カナダの何とかアカデミーという未来的な建物の中を、男女が走り回ったり、抱き合ったり。結局何も起こらないのだが、SF調で思わせぶりな展開は妙におかしかった。こんなヘンな映画を最初に作るとは、さすがに天才。

朝から昼ご飯もろくに食べずに古い映画を2本見たら、疲れてしまった。今年のフィルメックスはこれでおしまい。見た本数は今までで一番少ないかも。

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