赤瀬川原平さんのこと
私が憧れることの一つに、「飄々としている」という表現がある。せっかちでいつも騒いでいる自分には、とてもなれない状態だ。先月末に亡くなった赤瀬川原平さんは、この「飄々と」という表現がピッタリだった気がする。
赤瀬川さんとは一度インタビューしたことがあるだけで、個人的には知らない。性格はひょっとすると「飄々と」ではないかもしれない。だけど、彼の生き方というか残した作品が、この表現に合う気がする。
20代の頃には「ネオ・ダダ」や「ハイ・レッド・センター」の1人として、「ミキサー計画」や「シェルター計画」などのハプニングを繰り返す。そして千円札の模写作品を発表して起訴され、裁判となる。この頃のことを知ったのは随分後のことだ。
30代半ばからは後に「超芸術トマソン」と名付ける無用の物体探しを始める。それは「路上観察学会」として有名になる。その一方で尾辻克彦の名前で『父が消えた』で芥川賞を取る。私がこの人の名前を覚えたのは、1980年代初めのこの頃だと思う。
私は大学生になったばかりで、『父が消えた』を読んでまさにその「飄々とした」味わいを楽しみ、『超芸術トマソン』を読んでその脱力感に憧れた。当時は蓮實重彦や浅田彰や柄谷行人をわからなくても力んで読んでいたが、一方でトマソン探しのような馬鹿げた行為に憧れた。
私は1986年に東京に出てきた時、地下鉄高田馬場駅の階段にある無用の空間をわざわざ見に行った記憶がある。それからしばらくして、1998年に出た『老人力』という本がベストセラーになる。「高齢化社会」と言われる時代を面白おかしく肯定的に書いた本で、抜群のセンスだと思った。
2000年代には山下裕二と「日本美術応援団」を作り、古い日本美術を案内する文章を書く。これまた新鮮でおもしろかった。そうやっていつも手を変え品を変え、私を楽しませてくれた。
亡くなられた直後に千葉市美術館で展覧会が始まったので見に行った。これまた見ていて飽きなかった。やはり赤瀬川さんは、私にとってスターだった。私の彼へのインタビューや展覧会を巡るまじめな文章はWEBRONZAに書いたのでご一読を。
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