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2014年12月14日 (日)

なぜ悪口ばかり書くのか

初めてこのブログを見た学生から、「悪口ばかりでびっくりしました」と言われることがある。自分としてはそんなに悪口を書いているいるつもりはない。好きな映画は最大限にホメるし、そうでもない場合も特に試写で見た場合は匂わす程度に抑えているつもり。

遠慮なく批判するのは、公的な組織や政府補助金など公的なお金が入ったもの。これは税金を使っているのだから、おかしいと思ったら声を挙げることにしている。それから権力と言えるような絶対的な力を持った存在にも文句を言いたい。

個人か会社のお金で作られたり権利を購入されたりする個々の映画の悪口を言ってもしかたがない。結局彼らの勝手なのだし、それだけのリスクを負っているのだから。だけど公立の美術館の美術展に対しては、思ったことを書く。

東京国際映画祭については、1985年にできた時には大学生だったが、その時から違和感があった。これは公的な存在なので、毎年批評している。今年は初めて朝日新聞に投稿して正面から改革案を書いた。さすがにネットと違って紙の新聞の影響力は大きい。知り合いからメールが来たり、声を掛けられたりした。

一般的には東京国際映画祭はひどいが、東京フィルメックスは素晴らしいと言われている。もちろん少ない予算で頑張っているのであまり文句は言いたくないが、フィルメックスへの批判がないのはおかしいと思ってWEBRONZAに「役割を終えた東京フィルメックス」という文章を書いた。見出しは「東京国際映画祭との「統合」が国益だ」で相当に刺激的だが、タイトルも見出しも編集部が作ったもの。

10月と11月に同じ東京で公的なお金を使った国際映画祭が並んで作品を取り合っているのは、どう見ても異常だと思う。東京国際がアジア部門を中心にレベルアップしてきたのでよけいにそう思う。業界でそういう人は多いが、誰も書かないから書いた。

そして高倉健が亡くなって、あまりに同じような絶賛の言葉が並んだので、その違和感もWEBRONZAに書いた。これは新聞の追悼記事の批判が中心だが、新聞記者には誰も文句を言わないがこれこそ権力なので、ぜひ批評すべきだといつも思っているし、このブログでも書いている。

だから時々「新聞の映画評」評を書いているが、それを読んだWEBRONZAの編集者から、きちんと書いてほしいと言われて書いた文章が昨日アップされた。題して「新聞の映画欄、映画評を批評する」。これまた編集者が付けたものだが、我ながら恐いもの知らずな感じ。個人名を挙げて誰の評論がおもしろいかも書いたので、ぜひ読んで欲しい。

そんなわけで、へそ曲がり根性は直らないようだ。そういえば、今日は選挙。結果を考えると暗澹たる気持ちになるが、それでも投票に行く。投票しないとへそ曲がりは表明できない。

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コメント

今の学生はほんとうに批判というものをしない。それは“和”を乱す悪口だと捉えるようだ。

投稿: | 2014年12月15日 (月) 12時29分

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