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2014年12月21日 (日)

「仕事」の概念の変容をめぐって

学生の映画祭「ワーカーズ2014」のことばかり書いているが、これで最後。今年は初めてパンフレットを作った。佐藤忠男さんたちに学生が原稿を依頼して、40ページのものができあがり、700円で販売した。できあがって読んでみたら、2つの文章がおもしろかった。

1つは、哲学者の内山節氏の「仕事とは何かを問い直す時代」。「かつて人間たちは、物や作物をつくる楽しみ、サービスを提供する喜びを感じながら仕事をしていた」。ところが20世紀になると、「工場では分業化がすすみ、単純なことを繰り返す労働が増えていった」。

「労働はつまらないものになっても、そのことによって効率のよい経済がつくりだせれば、収入や余暇は増えるという現実があった。
ところが今日では苦痛な労働に従事している人ほど非正規採用が多く、格差社会のなかで生きるという状況が生まれてしまった」

「労働はつまらなくても生活は向上するという20世紀の論理は完全に破綻してしまった」「私たちは労働とは何か、何のために働くかを改めて問い直さないと、自分の存在意義がつかめない時代を迎えてしまったのである」

いささか図式的かもしれないが、何と明快な論理だろう。今の若者の生きにくさをわかりやすく示していると思う。

もう一つは若い世代の社会学者、阿部真大氏の「“心の時代”に仕事を描くということ」。「1950年代から1960年代にかけての「変革の時代」において若者たちをとらえたのは政治であった。1970年代から1980年代の「経済の時代」において若者たちを捉えたのは消費であった。そして1990年代から現在にかけての「心の時代」において若者たちを捉えているのは仕事である」

何と、現代の若者の関心事は仕事そのものとは。阿部氏はその例として安野モヨコの『働きマン』という漫画を取り上げている。もちろん私はこの漫画は読んでいないが、確かに今の学生は仕事のことばかり考えている。ほぼ全員がバイトをしているし、いつも将来の仕事のことを考えている。

私の学生の頃は1980年代だが、女にもてるにはどうしたらいいかばかり考えていた気がする。将来は「どうにかなるだろう」と思っていた。結果としてみんな「どうにかなった」。

ブラック企業や派遣労働で搾取されるくらいなら、物価の安い寒村に行って農業をした方がいいのではと思うけど、そんなに簡単ではないのだろう。実に難しい時代に私は大学教師をしていることになる。

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