京都の話:その(1)ノスタルジア
今年の前半はいくつかの用事で京都に何度か行く。おりにふれて、京都の話をしたい。まず言っておくと、私は関西が苦手だ。何より関西弁がたまらない。もちろん一度も住んだことがない。
前の職場なら大阪勤務は当たり前だったが、その順番が回ってこないうちに辞めてしまった。私にとって関西は日本で最も外国のような、アウェイ感のするところだろう。
先日京都に行って、最初に京都に行った時のことを思い出した。1970年代末で、高校2年生だった。たぶん今頃だと思うが、修学旅行で大山のスキーに行くことになった。肝炎で入院して退院したばかりの私は激しいスポーツを禁じられていたので、行けなかった。
そこで親に話して、そのお金で1人で京都に行くことにした。そして余ったお金でミノルタの一眼レフカメラまで買い込んだ。そのために節約することにして、特急や急行に乗らずに、すべて普通列車を乗り継いでいくことにした。
福岡の自宅を朝6時半ごろに出て、10回くらい乗り継いで京都駅に着いたのは、夜の10時過ぎ。たぶん大きな時刻表を持って、あちこちで必死で乗り換えた気がする。それから八条口を出て、電話で予約していた東福寺の宿坊に着いた。
もちろん宿坊は真っ暗だったが、ガラス戸を何度も叩くと開けてくれた。来ないと思ったという意味のことを京都弁で言われて、一挙に力が抜けたのを覚えている。
それから2日かけて、三十三間堂、清水寺、哲学の道、銀閣寺、金閣寺、龍安寺、比叡山、大原、嵯峨野と歩き回った。2日目の夜は、嵯峨野の民宿に泊まった。バスにも乗らずに、ひたすら歩いた。乗物は比叡山のロープウエーくらいだった。
そして3日目の夜に大阪から夜行に乗った。大阪駅のホームで冷たい弁当を食べたのを妙に覚えている。3日間、ほとんど誰とも話さなかった。カメラには無人の寺や風景が写っていた。あの我慢のような京都旅行は、何だったのだろうか。
旅の記録をせっせと大学ノートに書き込んだ。それはかなりの分量になった。撮った写真や寺の入場券も張り付けた。そして友達に見せていた。そのノートはどこかに行ってしまった。読んでみたいけれど、読んだら大爆笑だろう。
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コメント
2日かけているとはいえ、比叡山や大原も入っていて、超ハードスケジュールですね。高校生の時から変わっていませんね(笑)。
投稿: 石飛徳樹 | 2015年1月25日 (日) 13時31分