関西弁で語る「任侠映画」
大学の教師になって初めて依頼を受けた一つに、「事典」の項目を書く仕事がある。記名の場合には肩書が大学の方が「座りがいい」のだろう。そんな時はいい機会だと思ってついでに勉強して書く。
先日来た項目は「任侠映画」。たぶん高倉健や菅原文太が亡くなったので、編集者が今年度版には入れたいと思いついたのだろう。「ヤクザ映画」との違いをどう書くかがポイントだが、一応書いた後に読んだのが、楠本憲吉編『任侠映画の世界』と俊藤浩滋・山根貞男著『任侠映画伝』。
前者は渡辺武信の文章が鋭かったし、三島由紀夫の鶴田浩二論が抜群におもしろかった。三島は鶴田を「何たる知的な、何たる説得的な、何たるシャープな表現」と論じた後に、対比して東大安田講堂の攻防戦を「見守っている教授達の顔に、私は何ともいえない「愚かさ」を感じた」と書く。
鶴田浩二を「知的」と書き、機動隊を導入した安田講堂をオロオロと眺める教授達を「愚か」と評するセンスが何とも三島らしい。
こちらは評論家を中心にいろいろな人がエッセーを書いているが、もう一冊の『任侠映画伝』は、評論家の山根貞男の解説の次に、東映の任侠映画の中心となったプロデューサーの俊藤浩滋の言葉が続く。その俊藤の関西弁の語り口がおかしい。
山根氏も関西の出身だから、関西弁で語りかけたのだろう。だから俊藤の話が実に生々しく聞こえる。例えば巨人の水原茂監督を東映の大川博社長に頼まれてくどく場面。「東映の大川社長がどうしても来てほしいと言うてる。希望どおりの金は出すし、あんたの思うようにチームをつくってもろてええから、東映フライヤーズを預かってほしい」
その前には山根氏の解説がある。「映画と野球。かつてこの二つは密接な関係にあった。…俊藤浩滋が映画づくりに本格的に関わることになるのも、野球を通じてで、読売ジャイアンツの水原茂監督の東映フライヤーズ入りに手を貸したのがきっかけだった」
その前に「俊藤浩滋はまず、鶴田浩二が東宝から東映へ移籍するさいの仲介役を果たすことで、東映の大川博社長や岡田茂プロデューサーと懇意になった」。俊藤の人脈の広さを物語るような映画界へのデビューである。
この調子で俊藤の話が関西弁が進んで何ともおもしろいので、ぜひご一読を。
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