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2015年2月26日 (木)

白黒映画の喜び:『パプーシャの黒い瞳』

4月4日公開のポーランド映画『パプーシャの黒い瞳』を見た。ヨアンナ・コス=クラウゼとクシシュトフ・クラウゼという夫婦の共同監督だが、最近見たロシア映画『神々のたそがれ』と同じく、白黒の映画だった。あるいは同じ岩波ホールでやった『木漏れ日の家で』もポーランド映画で白黒だった。

なぜ旧共産圏で白黒映画が多いのかわからないが、たぶん旧ソ連や東欧では長年現実を直接ではなく隠喩を用いて描いてきたので、白黒の方が向いているのではないか。ロシアのアレクサンドル・ソクーロフだって、『太陽』や『ファウスト』など、今でも作る映画の半分は白黒だし。

『パプーシャの黒い瞳』は、『ファウスト』や『神々のたそがれ』のように、長回しで即興のように画面のダイナミズムを作ってゆく天才タイプの映像ではない。『木漏れ日の家で』に似て、1ショット1ショットを凝りに凝って、陰影に満ちたシーンを作り上げる。確かに、この白黒の美しさには出だしから息を飲む。

例えば、パプーシャが心ならずも叔父と結婚させられて花嫁衣装を着ながら涙が流れる場面、自分の詩が取り上げられた新聞を一本の木の下で嬉しそうに読む場面、かつて好きだった翻訳者を「詩など書いたことはない」と追い出した後に、窓からひっそりと眺める場面。あちこちに印象に残るシーンが溢れている。

物語は、ロマ(ジプシー)の一族に育ったパプーシャが、文字を覚えて詩を書くが、それが翻訳されて有名になることで、逆に不幸になってゆくという展開。普通の社会から隔絶して、旅を人生として生きるロマの姿をこれほど克明にそしてリアルに描いた映画はあまりないのではないか。時間は1910年から71年、49年、21年、25年、52年とあちこちに飛んで最初は戸惑うが、途中から気にならなくなる。

数台の幌馬車が連なって30人ほどの一族が移動してゆくシーンは、圧倒的な迫力を持つ。彼等の生き方そのものを象徴的に見せるから。彼等は大きな事件があると集まって協議する。戦後に国が家を提供するから放浪をやめるよう通達が来ると、「子供を学校にやるくらいなら殺す方がまし」などという。それでも結局は、小さな家に押し込められてゆく。

見終わって、これはロマたちから見た20世紀の歴史なのだと思った。その意味でも白黒はふさわしかった。

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