« パリのバス・ノスタルジア | トップページ | 東映時代劇のひばりと千恵蔵 »

2015年2月14日 (土)

『ザ・トライブ』の衝撃

すべてが手話だけで進み、セリフもナレーションも音楽もない134分の映画を見た。4月18日公開の『ザ・トライブ』というウクライナの作品だが、これが予想以上に衝撃的だった。

最初に、バス停で道を聞く青年の姿がロングショットで道路越しに写る。身振り手振りと筆談で話しているようだ。青年はわかったという合図をして、地下鉄の駅に降りてゆく。カメラは静止したまま。

それから青年が寄宿舎付きの学校に向かう。聾唖者のための学校の校舎は薄汚れていて、暴力や売春がはびこる世界だった。青年はそこである女を好きになり、学校の秩序に一人で真っ向から立ち向かう。

そんな話なのだが、出てくるのは聾唖者のみで、えんえんと最後まで手話だけ。私は手話はわからないので、これで134分はきついかなと思った。実際、最初の10分ほどはウトウトしかけた。仕草でわかるのは、「お金」とか「タバコ」くらい。

あとはほぼわからないが、表情や動作を見ていると、だんだん慣れてくる。怒っている時には叫びが出るし、男女がセックスに夢中になって呻く声も人一倍大きい。あるいはイタリアからのお土産のTシャツをもらって、喜ぶ女達の声が高く鳴る。一番強烈なのは、粗末な設備での堕胎のシーンの女の悲鳴だろうか。今でも脳天に響く。

途中からは退屈どころではなくなって、登場人物たちの情動に突き動かされた激しい動きと叫びを追ううちに、我を忘れてしまう。物音は、普通の映画の何倍もの力を持つ。カメラは長回しを基本に、かなりスタイリッシュに構図が作られている。その非人間性的なタッチと隣り合わせの激情と暴力の表現は、ラース・フォン・トリアーに似た感性か。

監督のミロスラヴ・スラボシュピツキーはレンフィルムに勤務していたというが、そう聞くと、ヴィターリ・カネフスキーの『動くな、死ね、甦れ!』の少年少女を思い出した。とんでもない世界で自分の力だけで生き抜く男女の姿の強度に、似たものを感じた。

去年見た『大いなる沈黙へ』では、修道院に閉じ込められたような感覚を味わったが、今回は自分が言葉を話せず、聞くこともできない世界に放り出された気がした。そこから、映画の新たな第六感が湧きあがった。

監督はウクライのキエフ生まれでこの映画はキエフで撮られたらしいが、ちょうど昨日ウクライナの和平調停が新聞の一面に載っていた。今まさに動きつつある世界の動乱の地から生まれたような、新しい映画の登場だ。

|

« パリのバス・ノスタルジア | トップページ | 東映時代劇のひばりと千恵蔵 »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/61130266

この記事へのトラックバック一覧です: 『ザ・トライブ』の衝撃:

« パリのバス・ノスタルジア | トップページ | 東映時代劇のひばりと千恵蔵 »