京都の話:その(6)PARASOPHIAとは?
もう少し、京都のことを書く。今、京都で一番盛り上がっているのは、東山の花灯路などではない。この7日に始まって5月10日まで開催される「PARASOPIA:京都国際現代美術展2015」である。
今世紀になって、2000年に始まった越後妻有トリエンナーレや翌年からの横浜トリエンナーレなどの大規模な現代美術展が話題になった。それを模倣するかのように、愛知トリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭、札幌国際芸術祭などが雨後の竹の子のようにできた。
横浜や越後妻里が予算縮小で小粒になったことや、中心人物が重なっている場合が多いこともあって、これらは散らばりながら縮小再生産されてゆくローカル・イベントになっていったように見える。ところがここで出てきたPARASOPHIAには、久しぶりの強烈なインパクトを感じた。
まず、京都の街を歩くと、あちこちでそのポスターや垂れ幕を見る。主催は京都経済同友会、京都府、京都市と書かれているが、カタログを見ると経済同友会が府や市に働きかけて実現したと書かれているので、本当に京都の民間パワーだろう。
しかし、その内容はコテコテの現代美術が並んでいて、経済界が怒るのではないかと心配になるほど過激だ。会場は京都市美術館を中心に市内に散らばっているが、まずどこも会場がいい。京都市美術館は1933年にできた帝冠様式の古い美術館だが、地下の倉庫や3階の休憩室に至るまで使って、美術館そのものを展示物としている。
帝冠様式とはそもそも西洋建築に和風の屋根を乗せたもので、明治以降の日本文化を象徴している。その建物の構造を可能な限り露呈されながら、内外の美術が並ぶ。まず通常は展示に使わない中央の吹き抜けの空間に並ぶ蔡國強の巨大な竹のインスタレーションに驚く。そして床には鉄で作られた不思議なロボットがあちこちに動いている。
たまたま行った時は、蔡氏が幼稚園児たちを案内していた。奇妙なロボットに声を挙げて騒ぎ、凧揚げのために絵を描く子供たちの興奮ぶりを見ていると、現代美術の射程がかくも広いことに思いが至る。そのほかウィリアム・ケントリッジの本の形の映像は見ごたえがあるし、石橋義正の不道徳感溢れるインスタレーションもいい。ジャン=リュック・ヴィルムートのメッセージを書き込む黒板も、この空間に合う。
市内に散らばる会場もいい。四条烏丸近くの書店の大きなウィンドウに、何の説明もなく飾られているリサ・アン・アワーバックのちょっとエロチックな女性の写真、出町柳の鴨川デルタに鳴り響くスーザン・フィリップスの音のインスタレーション(こちらも説明なし)など、驚きに満ちている。
築60年という堀川団地の一室の天井や布団に展開されるピピロッティ・リストの映像も、場所の魅力を最大限に使っている。あるいは京都文化博物館の別館(1906年建築の旧日銀)は、森村泰昌のベラスケスの《ラス・メニニャス》をめぐる展示に極めてふさわしい。
ディレクターの河本信治氏は2001年の第一回横浜トリエンナーレのディレクターの1人なので、使いまわし感はあるし、出品作家もスター作家が多い。それでも刺激的なのは、京都の近代の施設を最大限に活用してその地霊を呼び起こすことに成功したからだろう。久しぶりに現代美術展に興奮した。これに比べたら、この日曜まで開催されていた「恵比寿映像祭」など児戯に等しい。
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