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2015年3月 1日 (日)

『敗戦とハリウッド』が描く戦後日本

20年ほど前からか、映画研究に文化史的、社会学的なアプローチが増えた。戦時中の邦画製作とか、台湾や韓国などの植民地の状況とか、戦後の占領下の製作とか。最近読んだ北村洋著『敗戦とハリウッド』もその1つ。副題は「占領下日本の文化再建」。

この本は、現在アメリカの大学で教える筆者が10年ほど前に英語で書いた博士論文を改稿したもの。だからどこか外国語を読むようだが、同時に極めて明快に書かれている。

中心となるのは、戦後の占領下にアメリカ映画がどのように日本で広がっていったか。言い換えると、アメリカはいかにして映画を通じて日本人に「親米」意識を植え付けるのに成功したかである。この本を読むと、それが単なる「押し付け」ではなく、日本人が大喜びで進めた姿が浮かび上がる。

占領軍は1946年秋にセントラル社を作り、アメリカ映画配給の窓口とする。最初は8大メジャーにリパブリック社を加えた9社が各5本ずつの45本。もちろん戦時中に作られた作品ばかりで、『カサブランカ』(43)のようにナチと戦う連合国軍の勇気を描くものや、『エイブ・リンカーン』(40)『キュリー夫人』(44)のように世界のために善行をした偉人伝など、日本人を「再教育」する内容が多い。事実、それらは「再教育映画」Reorientation Filmと呼ばれていた。

例えばキャプラの『スミス都へ行く』(39)は、検閲官は「アメリカ政界の品位と効率性を物笑いにしている」として戦前に公開された時は好成績を残しているのに「お蔵入り」となった。公開されたのは占領期が過ぎた1954年。あるいはヒッチコックの『救命艇』(44)は、「ナチが非ナチよりも優れていること」を示唆するために上映に反対し、現在に至るまで未公開。フォードの『怒りの葡萄』(40)は「共産主義的」なために、公開は60年になった。

その一方で、ほかの国の映画に対しては46年末に「一国一社制」を作る。これによってイギリスは47年に『第七のヴェール』、フランスは翌年『美女と野獣』、イタリアは49年に『戦火のかなた』を封切るが、この体制によってアメリカ映画の優位が確定する。

映画館は当初東宝・松竹のチェーンを利用したが、丸の内の日本劇場などの「一級劇場」ではアメリカ映画を独占的に上映するといった条件が嫌われて破綻する。セントラル社は日活や独立系のチェーンと手を組む。その結果「セントラル劇場」という名の映画館が各地で誕生し、ハリウッド映画専門館は220館に及んだ。その中から設備の整った「優秀劇場」を選び、一般公開前に独占的な上映を許す「ロードショー上映」を許可した。その一番が今もある丸の内スバル座という。

前半を要約しているだけで長くなったが、おもしろいのはその後のいかに日本の文化人がそれを応援したかである。とりわけ淀川長治の活躍ぶりが印象的だが、それにしては後日(たぶん)書く。

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